過去の日記から(130)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(4) (2009/4/25/掲載)
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。
2000年4月11日(火)9:30Am、社会保険・高浜病院外来内科で診察をうけました、病院長の診察でした。
脳レントゲン・CT検査等々受けたがレントゲンで見る範囲では異常はなかったのです。
この時病院長は脳レントゲン確認のために滋賀医科大病院から2000年4月1日より赴任の専門外科医平岡先生を呼び確認された。
私の主治医は平岡先生となりました、現実に言語障害の症状はあります、もっと詳しい検査が必要であるので即入院。
絶対安静、脳梗塞及び脳血栓の疑いもあるので、48時間血行改善剤薬の点滴を行うとの説明があった。

過去の日記から(129)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(2) (2009/4/24/掲載)
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。
2000年4月9日(日)私は日本イエスキリスト教団・舞鶴福音教会の聖日礼拝に行きました、ひとりの姉妹が小河さん顔色が少しどす黒いが日焼けしたの??と言われる、背中が痛く牧師が指圧をしてくださった。
そして本社事務所で日曜出勤の社員に何故か言葉がしゃべり難いことを伝えて帰宅した、この頃より破傷風の症状がでていたようすが、私はこの症状は間違いなく、交通事故の後遺症と思っていました。
2000年2月14日(月)国道27号線で道路工事の信号待ちしている私の車に、4T・レッカ-車が前方より横転してきて停車中の私の車に激突してきたのです、幸いにも軽症で助かったのです。

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過去の日記から(128)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(1) (2009/4/22/掲載)
2000年4月1日(土)10:30Am、自宅排水路の掃除をしていた時にバランスを崩して倒れました。
その時に左手をついて、中指と人差し指の間に軽いケガをしました、ケガは大したことがなく自宅で消毒等の治療を施しました。
その後は通常通りの生活をしていました、数日で傷口もふさがりました、うす赤い丸い皮が張り、小さい突起ができていました。
突起部分の周りが赤く腫れれていましたがそれも徐々に少なくなってきました、でも普通より長い期間腫れが治らず??でした。
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きました。
肉体的・精神的にも辛く、苦しい破傷風菌との戦いでした、将来のために家内にも協力を願って病床記録をのこします。

過去の日記から(127)

過去の日記から「祈る」ことの大切さ (2009/3/29/記載)
今週も聖日礼拝に行くことができて感謝します、メッセージでは「祈り」について語られた。礼拝で語られた聖書のカ所を紹介します。
あるとき友人が真夜中に友よパンを三つ貸して下さい、友達が旅先から私のところに着いたのですが、何もだすものがありませんと懇願したのです。
彼は内から面倒をかけないで、戸は締めたし子供達も床にいるから、しかし、しきりに願うので必要なものを与えた。
そこでわたしはあなたがたに言う、求めよそうすれば与えられるであろう、捜せそうすれば見いだすであろう、門をたたけそうすればあけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(マタイ7)
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過去の日記から(126)

過去の日記から(5)、キャド導入の経緯 (2009/4/9/記載)
コンピューター会社の技術指導者との出逢いは私の人生で大きな転換期でした。
PCキャドを購入したので会社がその指導に「彼を」派遣したのです、当時私がどのようなことを彼に話したのかは明確には覚えていません。
しかし当社の業務をできうる限りコンピューター化したいことを熱心に語ったようです、当社に入社して私が考えていることに取り組んでほしいと願いました。
彼にすれば、私の熱意と、このような零細企業の社長にしては、めずらしい考えの持ち主だと思ったそうです。
祈りが応えられると信じていました、とうとう彼を口説き落としたのです、ともあれコンピューター専門技術者が入社しました。

過去の日記から(125)

過去の日記から(5)、キャド導入の経緯 (2009/4/9/記載)
コンピューター会社の技術指導者との出逢いは私の人生で大きな転換期でした。
PCキャドを購入したので会社がその指導に「彼を」派遣したのです、当時私がどのようなことを彼に話したのかは明確には覚えていません。
しかし当社の業務をできうる限りコンピューター化したいことを熱心に語ったようです、当社に入社して私が考えていることに取り組んでほしいと願いました。
彼にすれば、私の熱意と、このような零細企業の社長にしては、めずらしい考えの持ち主だと思ったそうです。
祈りが応えられると信じていました、とうとう彼を口説き落としたのです、ともあれコンピューター専門技術者が入社しました。

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過去の日記から(124)

過去の日記から、(4)キャド導入の経緯 (2009/4/4/記載)
深刻に悩んでいる頃に京都府のコンピューター会社でPCキャドの指導講習会と販促がありました。
私は彼女と勉強会に参加しました、その時の研修はチンプンカンプン解りませんでした、自分の能力の無さを思い知らされ落ち込んだ。
安いソフト(キャンディー)であるからトラブルのだと単純に思ったのです、PCキャドの価格は当時150万円だった。
薄い小さいプログラムが何と高いのかと思いました、この先フル稼働するまでにどれだけの投資金がいるのか??心配でした。
しかし私の投資意欲が勝っていたようで150万円盗まれたと思えば諦めも付くと思いました、これ購入致します。
宜しく御御指導を願いします、私はまず自分にはコンピューターに関する能力がないことを認め、神さまに祈りました。
自分がやりたいビジョンを祈りの課題として、お祈りし神さまの祝福を求めました、私に助け人を与えてほしい。