過去の日記から(245)
数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(21)
肺の中の水を抜き去り、点滴をしてガンと闘い負けなかった彼は、本当に奇跡的に退院をしたのです。
この時期には社内で彼は再び会社へ復帰することは無理であろうと語っていたのです。
1995年2月6日~1995年2月20日、午前3時17分(昇天)、奇跡的に退院した彼の心の中に職場に復帰したい。
仕事がしたいという思いが強く現われていました、でも私は事務所の中の仕事しか許しませんでした。
過去の日記から(244)
数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(20)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃんと(仮名)このような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが。
私の他にこのようなこと話した人があるのか??と聞いたことがあります、社長以外に一人だけあります、国立病院の西村婦長(仮名)さん(クリスチャン)と言う。
婦長さんに話したとのことでした、その西村婦長(仮名)さんが彼のことを思い遣り、彼の心の支えになっていたのです。
過去の日記から(243)
数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(19)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃん(仮名)とこのような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが。
私の他にこのようなこと話した人があるのか??と聞いたことがあります、社長以外にお一人だけあります、国立病院の西村(仮名)婦長さん(クリスチャン)です。
婦長さんに話したとのことでした、その西村(仮名)婦長さんが彼のことを思いやり、彼の心の支えになっていたのです。
過去の日記から(242)
数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(18)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
でも山ちゃん(仮名)、自分の意識がはっきりしていて自分にそのように意識付けできる場合はそれで良いと思う。
しかし、死とは、その意識すら取り去られることであるとすれば、万物の創造者であり私達を生かしてくださっている神様に、全てをゆだねる必要が必ずくるのではないか等々を話した。
私はクリスチャン経営者として語るべきと示されていたことを語りあえ感謝しました、彼も心から同意してくれました、これは私達の人生にとってすばらしいことであった。
過去の日記から(241)
数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(17)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
彼は自分の人生哲学をもっていて、他の人達にも充分な説明ができました、その考え方に精神力に感心させられました。
自分の魂は、遺伝子を通してすでに新しい生命として生まれ変わろうとしている。
それが動物としてか、植物としてか、また人間としてかはわからないし、選べないが間違いないと言うのです。
だから、死することは自分にとっては新しい出発です、悲しむことでもないと私に言い切った。