過去の日記から(263)

60歳までの経緯(1) 2022年2月11日で私は満72歳になります、1970年(20歳)の時に京都府舞鶴市で行われた、本田クルセードで初めてキリストの福音に接し、その年のクリスマスに受洗したのです。 教会には信徒献身者が必要であると「主の使命」をいただき、…

過去の日記から(262)

聖書のプレゼント(5) 社長は、社員とその家族のために働きます、会社は人材育成して良い仕事をしてほしいと願います、仕事がないと育成はできないし、仕事があると育成できる。 しかし人生の歯車が狂いますと大変です、経営危機、健康不安、後継者不在な…

過去の日記から(261)

聖書のプレゼント(4)2012年3月16日掲載 この文章は某経済紙でアメリカ合衆国の若い経営者が、自分の会社の成長にともない学んだことであると紹介されました。 それを読んだ私は心の中にドーンと大きな衝撃を感じました、どうして激しい衝撃を感じたのだろ…

過去の日記から(260)

聖書のプレゼント(3)、2012年3月16日掲載 聖書を開くと目次があります、その最初のページに走り書きした文章は、いつ頃に書いたのだろうか。 私はその時期を明確には覚えていないのです。 しかしクリスチャン(ベンチャー起業家)としての経営がかなり安…

過去の日記から(259)

壊れやすい卵の存在(2)、2009年10月8日、ブログ掲載 最近私はこの、システムと言う堅固な、壁について再考させられています、村上春樹さんのエルサレム賞スピーチです。 ・・途中省略・・ 爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い、壁です、これらによっ…

過去の日記から(258)

壊れやすい卵の存在(1)、2009年10月6日、ブログ掲載 村上春樹さんのエルサレム賞スピーチの全文を読む幸いを得ました、スピーチのなかで、システムについて語られています。 最近私はこの、システムと言う堅固な、壁について再考させられています、そうし…

過去の日記から(257)

愛の架け橋(7)最終、子供がまだ小学校に行っていない頃。 家内にも子供達にも謝ろう、子供に教えられた自分が恥ずかしい、神様はその日の内に私達夫婦に、無言の和解を与えられた。 その後は私達夫婦の間では夫婦喧嘩と称するトラブルはありません、最近…

過去の日記から(256)

愛の架け橋(6)、子供がまだ小学校に行っていない頃。 私はすぐに、家族みんなが手をつないで歩いていることに気付きました、子供達が愛の架け橋となりました。 私は虚しくてたまりません、なんて愚かな男なんだろうか、家内は何も言わず子供達と楽しそう…

過去の日記から(255)

愛の架け橋(5)、子供がまだ小学校に行っていない頃。 夜8時00分に会場近くの公民館の駐車場に到着して、子供達と4名が歩いて行くことになりました、 子供達は非常に楽しそうです、嬉しくてたまらないようでした、もちろん私と家内は無言のままであり…

過去の日記から(254)

愛の架け橋(4)、子供がまだ小学校に行っていない頃。 車で事務所を飛びだしたのですが、どこにも行く所がありません、居酒屋でお酒を飲んでうっぷんを晴らすすべを知らない私は、すぐに帰ってきたのです。 無言で帰宅した私に子供達が、「お父さん祭に連…

過去の日記から(253)

愛の架け橋(3)、子供がまだ小学校に行っていない頃。 6時頃でした、支払予定を立てるのに請求書のファイルをチエックしていましたが、何が原因か明確に覚えていないのですが。 無性に腹が立って家内と衝突して、思わず請求書のファイルを投げて仕舞いま…

過去の日記から(252)

愛の架け橋(2)、子供がまだ小学校に行っていない頃。 私は商売人で自営業でありますから会社業務でどんなに忙しく、苦しくても、人に恩がましく言わないし言う人には手伝ってもらわない。 と言う基本的な考えを強く持っていたのです、その時はどのような…

過去の日記から(251)

愛の架け橋(1) 子供がまだ小学校に行っていない頃でした、私と家内が激しく衝突して気まずくなったのです、その頃の私達は非常に忙しい毎日でした。 家内は子供の育児、家事全般、会社の事務、経理等々、一人三役で何をさせても素晴らしい能力を発揮して…

過去の日記から(250)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(26)最終編 1995年2月20日午前3時17分永眠した、お母さんに終りにしよう、もう終りや!と言ったそうです。 アメリカの手話で、アイラブユーを指で示し、天国に行ったのです、本当に頑張りました、本当に御…

過去の日記から(249)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(25) 帰り際に再度彼に伝えました、私は床について休む前にいつも感謝の祈りをしている。 自分が今日も生かされたことに感謝し私に関係するすべての人達が守られたことを感謝している。 今日から山ちゃん(仮名)のため…

過去の日記から(248)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(24) 自宅の妹さんに電話して、2月12日(日)聖日礼拝が終了する、午後には病院に行くことを伝えました。 教会での各部例会が終わりすぐ家内と病院に駆け込みました。 多量の輸血、ここ数日間で2000ccと言わ…

過去の日記から(247)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(23) ある日の朝、高浜支店の私の机の上にきちんと整理された図面と書類が完成しておいてありました、あわせてしばらく自宅で休みたいと書いてありました。 それから数日後に再び彼は入院しました、私は朝のミーティ…

過去の日記から(246)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(22) 社員にもありのままの症状を知ってもらいつつ協力を願っていました、でも阪神大震災の影響もあって、国道27号線の渋滞は彼には非常に苦痛となりました。 舞鶴・高浜間が普通20分の所要時間ですが、当時は国…

過去の日記から(245)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(21) 肺の中の水を抜き去り、点滴をしてガンと闘い負けなかった彼は、本当に奇跡的に退院をしたのです。 この時期には社内で彼は再び会社へ復帰することは無理であろうと語っていたのです。 1995年2月6日~199…

過去の日記から(244)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(20) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃんと(仮名)このような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが…

過去の日記から(243)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(19) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃん(仮名)とこのような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが…

過去の日記から(242)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(18) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 でも山ちゃん(仮名)、自分の意識がはっきりしていて自分にそのように意識付けできる場合はそれで良いと思う。 しかし、死とは、その意識すら取り去…

過去の日記から(241)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(17) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 彼は自分の人生哲学をもっていて、他の人達にも充分な説明ができました、その考え方に精神力に感心させられました。 自分の魂は、遺伝子を通してす…

過去の日記から(240)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(16) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 私は語るときはこの時だと思ってその後に、喫茶店で3時間ほど話し合いました。 山ちゃん(仮名)、何故レントゲンが受けれないのか、胸の中にしまっ…

過去の日記から(239)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(15) 1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院 社員全員に対して健康診断を受けるよう朝礼で指示して、あわせてレントゲン検査も受けることの指示をいたしました。 みんなが事務所より出てい…

過去の日記から(238)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(14) 1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院 肺炎になって、苦しくて歩くことすらできません、必至になって出社してくる彼が痛ましかった。 健康者と同じ扱いで仕事がしたい、と常々私に懇…

過去の日記から(237)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(13) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 びっくりしたのは周囲の人々でした、その精神力に感心をしたとのことです、彼はこの頃から死に対して進行している自分を100%現実として受け入…

過去の日記から(235)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(12) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 それら個人・個人の集まりが会社という組織となり、大きな力となる、だから最終的には個人主義はある意味で、悪ではないだろう。 癌と闘っている山…

過去の日記から(234)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(11) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院 会社の中で私に対して、会社のために働いているのに、という人がいた場合、一番頭に来る言葉だ!。 自分のために働くのであって、会社のためとい…