過去の日記から(223)

数えてみよ主の恵み、私の体験記録(10)
やるせない自分の思いを神様にぶつけていました、傲慢で信仰のかけらもない私でした。
信仰さえしていれば、教会生活と奉仕だけしていれば万事が上手く行くとの御利益的信仰だけの自称クリスチャンだった。
しかし、そのような私を心から哀れみ、苦しい体験を通して備えをしておられました。
自分の耳を疑ったが、間違いなく 「カルバリーの十字架、わがため」 が聞こえました、ハレルヤ感謝。