過去の日記から(242)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(18)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
でも山ちゃん(仮名)、自分の意識がはっきりしていて自分にそのように意識付けできる場合はそれで良いと思う。
しかし、死とは、その意識すら取り去られることであるとすれば、万物の創造者であり私達を生かしてくださっている神様に、全てをゆだねる必要が必ずくるのではないか等々を話した。
私はクリスチャン経営者として語るべきと示されていたことを語りあえ感謝しました、彼も心から同意してくれました、これは私達の人生にとってすばらしいことであった。

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