過去の日記から(253)

愛の架け橋(3)、子供がまだ小学校に行っていない頃。
6時頃でした、支払予定を立てるのに請求書のファイルをチエックしていましたが、何が原因か明確に覚えていないのですが。
無性に腹が立って家内と衝突して、思わず請求書のファイルを投げて仕舞いました、バラバラになって床に散乱した資料を。
文句も言わずひとつひとつ、涙しながら拾っている家内に対して、頭にきたからでて行くと言ってしまった。
今日の祭は自分は行かないから、子供達を祭りに連れて行ってくれと頼み事務所を飛びだしてしまいました。
 

過去の日記から(252)

愛の架け橋(2)、子供がまだ小学校に行っていない頃。
私は商売人で自営業でありますから会社業務でどんなに忙しく、苦しくても、人に恩がましく言わないし言う人には手伝ってもらわない。
と言う基本的な考えを強く持っていたのです、その時はどのようなことからなのか??、何が
原因なのか、詳しくは覚えていませんが激しく怒ってしまったのです。
この日は私達の地区では松上げと言う夏の火祭があり、大勢の人達が集まり、夜店が出て非常ににぎやかな祭がある日でした。

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過去の日記から(251)

愛の架け橋(1)
子供がまだ小学校に行っていない頃でした、私と家内が激しく衝突して気まずくなったのです、その頃の私達は非常に忙しい毎日でした。
家内は子供の育児、家事全般、会社の事務、経理等々、一人三役で何をさせても素晴らしい能力を発揮していました。
パートナーとして常に感謝していました、感謝していたことは真実ですが、どんなに会社業務が忙しくとも。
「 私も仕事してるんやで 」、と言う言葉に対して私は常々異常反応をしました。

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過去の日記から(250)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(26)最終編
1995年2月20日午前3時17分永眠した、お母さんに終りにしよう、もう終りや!と言ったそうです。
アメリカの手話で、アイラブユーを指で示し、天国に行ったのです、本当に頑張りました、本当に御苦労様でした。
彼との出会いは私の人生にとって、素晴らしい体験と生きる尊さを教えられました。
看病する周囲の人々、家族の人達に対する気配り、思いやりを身をもって示してくれました。
言葉では言い表すことの出来ない、感謝を感じています、ありがとう、やすらかに眠られたり!。

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過去の日記から(249)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(25)
帰り際に再度彼に伝えました、私は床について休む前にいつも感謝の祈りをしている。
自分が今日も生かされたことに感謝し私に関係するすべての人達が守られたことを感謝している。
今日から山ちゃん(仮名)のためにも熱心に祈るつもりだ、私が祈っていることを覚えて祈ってくれ、約束しようと話したのです。
彼はそうしますと言ってくれ感謝でした、1995年2月19日(日)この日は社員が6名が彼を見舞にいったそうです。
私は礼拝後に高浜町内で組合会議をするため時間が取れず、その日は見舞にいけなかったが夜の伝道集会で、彼のことを話した。

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過去の日記から(248)

 


数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(24)
自宅の妹さんに電話して、2月12日(日)聖日礼拝が終了する、午後には病院に行くことを伝えました。
教会での各部例会が終わりすぐ家内と病院に駆け込みました。
多量の輸血、ここ数日間で2000ccと言われたと思う?そして痛み止めで少し楽みたいでした、10分程度話しをしました。
山ちゃん(仮名)、がんばれるか??、社長がんばる、仕事がしたいと言ういうような話しをしたのです。

過去の日記から(247)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(23)
ある日の朝、高浜支店の私の机の上にきちんと整理された図面と書類が完成しておいてありました、あわせてしばらく自宅で休みたいと書いてありました。
それから数日後に再び彼は入院しました、私は朝のミーティングの時に社員に告げました、山ちゃ(仮名)の見舞をしようと示されている人は、すみやかに見舞するように。
2月11日、この日は結婚記念日と私の45歳の誕生日でした、山ちゃん(仮名)がかなり苦しんでいると聞き非常に心配でした。

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数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(22)