過去の日記から(313)

数えてみよ主の恵み(36)1973年
6時00分からの早天祈祷会に少し遅れたことが数回あったのです、参加者が牧師夫婦と私だけの早天祈祷でした。
牧師がお祈りしておられました、私に気づかず牧師の長~いお祈りを聞いただけで、牧師夫人に軽く会釈して帰宅した。
そのような早天祈祷会が数回ありました、でも私は教会で早天祈祷したことで心に安らぎを得ていたのです。
1973年9月から幾多の変遷を経て独立会社は動きだした、会社経歴書を紐解きながら主なることを、順次掲載していこうと思いました。

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過去の日記から(312)

数えてみよ主の恵み(35)、1973年
事務所の前面シャッターを下げてしまうと、昼間でも光がなく真っ暗でした、ひとり(孤独)でいることが苦痛でした。
高浜に引越してから数ヶ月間は早天祈祷会(6時00分)に行きました、車で片道30分かかりました。
日本イエスキリスト教団・舞鶴教会(谷口殉牧師)で付属幼稚園の経営もしておられました、冬時は朝の5時30分頃は真っ暗でした。
ガラガラとシャッタ音がします、事務所の前が「魚屋」で朝が早かった、おばちゃんが言います、あんたこんな早うから何処へ行くのと聞

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過去の日記から(291)

数えてみよ主の恵み(11)
1970年12月25日のクリスマスに、日本イエスキリスト教団・西舞鶴教会の中村清孝牧師から洗礼を受けました、その時に御言葉をプレゼントされました。
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべての事について、感謝しなさい、これがキリストにあって、神があなたがたに、求めておられることである。(テサロニケ5章16節~18節)
1973年6月 15日の夜に起業決心した時からこの御言葉、「常時喜悦・不断祈祷・万事感謝」、を社訓としました。
中島彰牧師(牧羊)に書いてもらいました、捺印(牧羊書)は数年後に頂きました、現在では表具して自宅に掲げています。

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数えてみよ主の恵み(10)

過去の日記から(290)

数えてみよ主の恵み(10)
日曜日の夜(7:00pm前)になると、御夫婦で長尺ダンプで迎えにきて下さいました、嫌でも断れませんでした。 
クラックションの音で下宿を出て行きます、初めて行った教会は私の想像していた教会とは全く違いました。 
普通の2階建ての木造民家で、そこにおられた牧師もおじさんって感じでした。
本田クルセードでの賛美や説教の感激が一瞬ではありますが失せてしまいました。
汝の罪、許されたり、兄弟君は、今日から新しい人生が歩める、との本田弘慈牧師の手の温もりは、確かなものとして私に残りました。

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過去の日記から(289)

数えてみよ主の恵み(9)
キリスト教会に行きたいと願いつつ、どこに教会があるのか調べることもなく数ヶ月が過ぎました。
勤めていた会社の外注業者として(Y)設備工業さんに私の担当現場の施工を発注していました、ところが親方さん夫婦が熱心なクリスチャンだったのです。
このことも不思議な神様の摂理を感じます、仕事に使用されている2トンダンプ、ローボディーの長尺車の中央座席は非常にクッションが悪かったことを覚えている。

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過去の日記から(288)

数えてみよ主の恵み(8)
本田弘慈牧師が、私の後頭部に手を添え祈られた、いまでもその温もりを感じます、汝の罪許されたり。
兄弟、君は今日から新しい人生が歩めると断言された、その時の手の温もりは忘れることはできない。
大げさな話だと思われるでしょうが、決してそうではありませんでした、新しく造られた者として歩みたいと願いました、
勿論、急に生活が変わったのではありませんが、惰性的な生活から何かを求めて生活しはじめたことだけは確かであります。

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7数えてみよ主の恵み(7)

過去の日記から(287)

7数えてみよ主の恵み(7)
当時の私はこの賛美歌を聞くたびに私の心は和みました、何のいさおもない私でした。
功績手柄などあるわけもない私に、「イエスキリスト」の御許に行けば必ず心が癒されると信じるようになりました、教会に行きたいとの思いが益々強くなってきたのです。
< いさをなきわれを >
(1)いさおなきわれを、血をもて購い、
   イエス招き給う、御許にわれ行く
(2)罪とがの汚れ、洗うによしなし
   イエスきよめ給う、御許にわれ行く
(3)疑いの波も、恐れの嵐も
   イエス鎮め給う、御許にわれ行く

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