2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

政権交代

自民惨敗・民主300超え政権交代!。野党第一党の民主党が選挙で政権を奪取したことは嬉しく感謝です。しかし福井県は自民党が小選挙区3区を独占したのです、県民は自民党政権を民意とした。 政権が変わると予測されていたのに、なぜ嶺南各市町長が全面支援さ…

私の旅行記(B9)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 日本からの(中学校)修学旅行で、中国鉄道に乗車していて列車事故が生じて大きくマスコミ各紙に取り上げられた頃でしたからよく覚えています、中国本土から香港に鉄道列車で移動しました。 中国領土から香港領土へ入るその…

私の旅行記(B8)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 その国境の橋沿いに大口径の導水管が布設されています、マレ−シア側からシンガポ−ルがお金で原水を購入しています。シンガポ−ルの浄水場で飲料水としてマレ-シアに水道料金を徴収し送水管で送っています。 生活の大動脈、飲…

私の旅行記(B7)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 天幕の中は薄暗い感じがした、女性の数が多いように思いました。イスラム教徒の礼拝堂は外観は白く素晴らしい建築物でした。 マレ−系の全ての人々が回教徒です、回教とはイスラム教を信仰する中国の少数民族だと聞いています…

私の旅行記(B6)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 国境を渡るとマレ−シアのひとつの州があります、そこに宮殿がありました。広い敷地の中には白っぽい素晴らしい建物が宮殿でした。ちょうどその時、回教徒(イスラム教)達のつどいがあった。約300人程度の人が天幕の中で食事を…

私の旅行記(B5)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 御手伝(メイド)といわれる人達はフィリピン人が多いようです。建設業者などの肉体労働者はマレ−系とインド系の人達が多く従事されています、1989年当時は人手不足のためにタイなどからも出稼ぎ労務者がきておられました。 シ…

私の旅行記(B4)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 気温は日本の真夏と同じ30℃〜32℃程度ですが、湿度がかなり高いようでハワイのようなサラットしたさわやかさが感じられない。5月25日現在、夜明けが7:00am頃に空が明るくなってきました。日本よりも夜明けが遅く感じる。 マラ…

私の旅行記(B3)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 1989年当時では、シンガポールの総人口の割合は中国系80%、華橋の2代・3代目の方が多い、残りはインド系、マレ−系です。年間460万人の観光者がこられますがその内の34%が日本人観光者とのことです。 道路交通法は車の流れ…

私の旅行記(B2)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 1989年での人口は260万人でした、その90%近くの人々がマンション生活であります。あちこちに高層マンションが立ち並んでいます。マンションの広さは平均で30坪程度もあると言われていますから、日本と比べても少し広いと思…

私の旅行記(B1)

B.シンガポ−ル、マレ−シア旅行 1989年5月24日〜5月28日まで4泊5日までシンガポ−ル、マレ−シア旅行をしました。大阪空港(伊丹空港)12:30pmフライト、シンガポ−ル5:40pm着。フライト時間は6時間10分だった。 日本と1時間の時差がありますから、まず空港に着…

私の旅行記(A8)

A.香港、中国旅行 1988年当時の中国は、部族が50数部族もあって各部族ごとに言語が異なり言語統一が非常に難しいとのことでした。川の向こうへ行くと同じ中国人でありながら語が通じないことがあったようです。 現在では北京語が中国全体の国語となってい…

私の旅行記(A7)

A.香港、中国旅行 1988年当時では、自転車の代金は180元でした、日本円で6300円であります。一家族に1台程度の自転車を持っておられるようです、日本のように家族で最低1台の車があるとすれば道路全体が車で埋まってしまうことになります。 車の約90%は日…

私の旅行記(A6)

A.香港、中国旅行 自動車よりも自転車優先、交通ル-ルが守られていない。人の多いのにはびっくです1988年当時では、中国人口全体で10億5000万人でした。①上海1200万②北京800万③広州600万でした、広州は中国で人口第3番目の都市であります。 1988年当時では…

私の旅行記(A5)

A.香港、中国旅行 広州飛行場は最小必要な電気がつけてあるだけで、日本と比べたら非常に暗く感じます。今日の見学予定を変更して、広州市内の見学となりました。 朝8:30モ-ニングコ-ル、夜中2:00amにホテル到着でゆっくり寝る時間がなかった、疲れている…

私の旅行記(A4)

A.香港、中国旅行 香港から、中国領土広州へ午後のフライト予定が夜中の12:00am過ぎまで空港で待ちぼうけです。その理由は公表されません、ただ中国側の理由でということですが日本では考えられません。 夜中12:15amフライトでした、約30分で広州に到着し…

私の旅行記(A3)

A.香港、中国旅行 香港はイギリス領土ですが、香港政領であり特別地域です。1990年現在から9年後、1999年頃中国領土として返還されます。 自由主義国から共産主義国へ移行しますが、その生活レベルが違いすぎますから返還後50年間は現在のままで香港が動き…

私の旅行記(A2)

A.香港、中国旅行 1988年での人口は約600万人、面積が東京の1/2程です。東京は人口1200万程度ですから人口密度から言えば、東京と同じであります。そこに住む人々の約80%近くの人々がマンション住まいです。そのため超高層のマンションが多いのです。 香…

私の旅行記(A1)

A.香港、中国旅行 1988年の5月22日〜5月26日まで香港、中国旅行をしました。5月22日3:30amに家を出発して7:00am大阪国際空港着。空港内で出国手続きを終えて9:50amに香港へ向かってフライトした、約3時間40分程で香港到着です。 世界の自由貿易港香港です…

バブル景気とはいつ頃

バブル景気とはいつ頃を言うのだろうか。大都市圏内と地域圏内(田舎)とは少しずれがあると思いますが、私の場合は1987年から2000年にかけて好景気のおかげで毎年外国旅行を5泊6日(機内泊含み)で計15カ国旅行しています。 今から思えば夢物語ですが、当時…

ビジネスヒント(3)

著名人の、シャレコーベを並べて、口上をのべて木戸銭を稼いでいます。このシャレコーベは「源頼朝」で御座います、「頼朝」は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将でして鎌倉幕府の初代征夷大将軍でしたなどと、口上を述べていました。 ある人が、「頼朝」は…

ビジネスヒント、木戸銭(2)

(1)「百間の、灯籠を、見て、通ろう、見て、通ろう」。 (2)「百間の、道路を、見て、通ろう、見て、通ろう」。 叫びながら木戸席に座っていたら、多くの人々は(1)を連想して百間の灯籠なんて凄く大きいが本当にあるのか。1間は=6尺=1.8182mだから…

ビジネスヒント、木戸銭(1)

私は古典落語が大好きです、親父も役所を退職して全盲生活(10年間)の間はカセットなどで桂米朝の落語をよく聞いていました。その影響で、私も古典落語のとりこになってしまいました、落語の笑いは大好きです。 木戸銭(興行見物の入り口で支払う料金)をネ…

核廃絶 yes,we can

広島64回目原爆慰平和宣言の記事、2009年8月7日(金)の読売新聞、左側一面に原爆死没者慰霊碑に手を合わせる人達の写真が掲載されていた。最前列の中央部分で手を合わせている女の子をみて驚いた、私の娘が写っていました。偶然とは言えびっくりしました。 …

日本最北端の旅行(3)

サハリン島(樺太)が水平線に見えました。風速が7mで波が白く泡立つようです、白く泡だった波が無数見える、普段日は若狭湾の海岸沿いしか見ていない私にはもの凄い「荒海」に見えました。この場所から間宮林蔵がアイヌの小さい舟で海峡を渡りサハリンを…

日本最北端の旅行(2)

テトラポット(波を防ぐ)が目立つこと、カモメが多く海岸沿いの岩はカモメのふんで汚れている、昆布漁が盛んで海岸線すべてが海の宝庫だ。夏休みは早朝から家族総出で昆布漁である、浜辺一面が玉石で敷きつめられていた、その上に朝収穫の昆布を敷きつめ太…

日本最北端の旅行(1)

私が日本の最北端、宗谷岬に到着したのが 2002年8月6日午後5時56分だった、日本最北端到着証明を稚内観光協会から頂いて(確かスタンプを押し証明)。最北端の離島である利尻島及び礼文島の旅行をした、日本最北端に立つことに憧れていましたので感無量でし…

最強のカマキリ

最強であると信じているカマキリがいた、カマキリ仲間では誰もが認める最強でした。ある日のこと線路を横断していたが、突然ゴーと言う音が聞こえてきます、その音はだんだん大きくなってくる、カマキリは敵が襲ってきたと思い「臨戦態勢」を整えた。 線路で…

発送の転換(2)

カメの誘いをウサギさんが了解した場合、ウサギさんが思うこと。 (1)このカメさんは気が狂っているのではないかと思う。 (2)このカメさんは冗談を言っていると思う。 (3)何かたくらみがある(眠り薬、落とし穴)と思う。 「発想を転換」して考えて…

発送の転換(1)

私はNHKラジオで昔し面白いことを聞いたことがあります、ウサギとカメの競争の古いお話です。私達の小さい頃は「油断大敵」と言う大義名分がありましたから、私達の脳裏には「ウサギとカメ」の話しと聞くと「油断大敵」と即座に反応します。 しかしNHK…

感情の変化(6)

人を批判したり、責任逃れをしたりすることは何時でもできますがその前にすべきことは何かと考えます。私はクリスチャン起業家として数え切れない程の挫折と、壁にぶちあたり叩きのめされてきました、その都度に感謝な尊い教訓も与えらました。 結論的には「…