2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

過去の日記から(288)

数えてみよ主の恵み(8) 本田弘慈牧師が、私の後頭部に手を添え祈られた、いまでもその温もりを感じます、汝の罪許されたり。 兄弟、君は今日から新しい人生が歩めると断言された、その時の手の温もりは忘れることはできない。 大げさな話だと思われるでし…

過去の日記から(287)

7数えてみよ主の恵み(7) 当時の私はこの賛美歌を聞くたびに私の心は和みました、何のいさおもない私でした。 功績手柄などあるわけもない私に、「イエスキリスト」の御許に行けば必ず心が癒されると信じるようになりました、教会に行きたいとの思いが益々…

過去の日記から(286)

数えてみよ主の恵み(6) 本田クルセードで語られたのは確か神は愛なりだったと思います、説教内容までは覚えていませんが、この時の感動は不思議でした。 夢遊病者の如く、本田牧師の招きで講壇の前まで行きました、本田弘慈牧師は福井県丸岡市出身です。 …

過去の日記から(285)

数えてみよ主の恵み(5) さからい気分で興味が沸かなかったら、すぐに退席しようと考えていました、有賀喜一牧の「いさおなきわれ」を賛美されました。 今までに聞いた歌で最高の感動で興奮しました、無償だったペラペラの赤いビニール製のレコード盤でし…

過去の日記から(284)

数えてみよ主の恵み(4) 40数名の集会でしたが、私の人生観が一変してしまいました、私は、新しい人生があるのならキリストを信じたいと思いました。 ① 聖書の御言葉です だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である古いものは過ぎ去っ…

過去の日記から(283)

数えてみよ主の恵み(3) 東舞鶴の市営テニス場でボールが見えなくなるまで練習をして帰路につきました、京都バスで通常は終点の西舞鶴駅で降りるのですが、その日に限って手前の「吐月旅館前」で下車しました。 友達と一緒でした下車したその前に、「本田…

過去の日記から(282)

数えてみよ主の恵み(2) 1968年(昭和43年)のことでした、テニスで勝利することが唯一の楽しみで生き甲斐となっていました、テニスで勝利し目的をはたしても、私はむなしさから逃れることはできませんでした。 ボールが見えなくなったらテニス友達も帰宅…

過去の日記から(281)

数えてみよ主の恵み(1) 1968年(昭和43年)のことでした、今は亡き親父(舞鶴市職員)の関係で(無理矢理)京都府舞鶴市の設備会社に就職しました、希望しての就職ではないので、何をしてもむなしく感じていました。 毎朝8時00分に出社して事務所で好きで…

過去の日記から(280)

事業継続断念の経緯、(最終) 起業するよりも、事業停止がどれほど難しいことであるかを知らされ、苦しくて悩みました。精神的にも非常に厳しい状況に追い込まれていきました、事業継承と健康問題で私個人が神様の前に冷静に判断できるか否かでした。 しか…

過去の日記から(279)

事業継続断念の経緯(6) 連休前の手術は認められず結果は2009年5月12日に手術と決めました、手術日が月末まで伸びてしまうと、支手決済のこともあり手術などしておれません。 私の脳裏には常に会社経営のことがあります、会社の風評を抑えられないと倒産せ…

過去の日記から(278)

事業継続断念の経緯(5) 2009年4月14日(火)に精密検査のため入院しました、心臓冠動脈の劣化は65歳頃から少しずつ起こってくるそうですが、私の場合はすでに生じていて要注意です。 心臓CTの結果は冠動脈がかなり細っている箇所がある、2003年7月4日に…

過去の日記から(277)

事業継続断念の経緯(4) 私は自分の健康状態が危険水域にあると思いました、2009年4月から5月は最悪でした。 ビジネスも、健康状態も順調ですと、信仰生活も日々の神様とのデボーションも力強いものです。 しかし最悪の状況に追い込まれると人間って弱い者…

過去の日記から(276)

事業継続断念の経緯(3) 風評を抑えられないと倒産に追い込まれることは明白であります、仕入先の支払条件が急変し ました、受注工事が激減して経営危機が表面化したのです。 私自身(社長)の健康問題も表面化しました、①心臓冠動脈の2回目の手術したこ…

過去の日記から(275)

事業継続断念の経緯(2) 2月末日の支手決済は時間との戦いでした、家内の運転で取引先を駆け巡り 3 : 3 0pm 頃でしたが、決済を済ませました。 しかしその時に第 1 回目の不渡手形をだしたとの風評、デマが飛びかってしまいました、それは 2 0 0 2 年から…