2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

数えてみよ主の恵み(56)

私に妥協を決して許さなかった。 聖書日課(聖書を学ぶ小冊子)の最初に記載されていた、「祈りの文章」を88歳のおばちゃんが完全に暗記しておられたことは驚きでした。 自宅を開放して、奉仕された日曜学校でよく歌った子供賛美も数曲暗記しておられたから…

数えてみよ主の恵み(55)

2階の娯楽室で車椅子に座っていたおばちゃんに突然の訪問でした、お元気ですか!。 突然に声をかけますと、しばらく私を見つめて、小河君かとびっくりされた、ハイ無沙汰しています。 1階の寝室まで車椅子をおして移動しましたが、大変喜んで下さり話はつき…

数えてみよ主の恵み(54)

2000年の秋だった思います、おばちゃんは兵庫県西脇のキリスト系の特別養護老人ホームで生活していました。 長女の御主人(開業医)が理事長でしたし、一緒に訪問下さった牧師の息子さんが介護士として勤務していました、ホームの内に「礼拝堂」もありました…

数えてみよ主の恵み(53)

物質的な豊かさは心の豊かさを失います、すべてのものを失っても心豊かでハレルヤ感謝しますと言えますように精進して行きたいです。 高齢者から後期高齢者となり、天国行きの準備が着々とされて身軽になって行く者です、神様からの預かり物を順次返却して行…

数えてみよ主の恵み(52)

毎朝、最初にこの祈りの文章を読んでから聖書通読したのです。40年後の今日では聖書通読する相手が家内に変わりました、しかし信仰の継承がされているから感謝であります。 家内と現在でも聖書通読を継続していますが、おばちゃんからの遺産です、まず神の国…

数えてみよ主の恵み(51)

聖書日課(聖書を学ぶ小冊子)に祈りの文章がありましたので紹介します。 主よくらい夜と、あたらしい朝の、みまもりを感謝します。 いま、わたしどもが、みそばに近くあることを覚え、聖書が読まれるとき。 あなたの、みこえが聞けるように、して下さい。 …

数えてみよ主の恵み(50)

結婚して与えられた2人の子供達(小学下級の頃です)と新約聖書から旧約の歴代志上の途中まで家族で2年間通読を継続しました。 子供達は中学、高校の時に自分達から洗礼を希望しました、以前の聖書日課(聖書を学ぶ小冊子)に祈りの文章がありました。 現在…

数えてみよ主の恵み(49)

おばちゃんの家から勤務先までは徒歩で7分程でした、毎日朝食後に聖書日課(聖書を学ぶ小冊子)を通して聖書通読とお祈りをして出勤しました。 下宿(20歳から23歳)していた3年間は毎朝でした、聖書1章を1節づつ輪読し聖書日課の解説を通して30分間の学びを…

数えてみよ主の恵み(48)

思い返せばきりがありません、愛され、祈られ、助けられ、育てられたのです、中島彰牧師(牧羊書)が講師で舞鶴に来られた時のことです、少々強引にたのんでくれました。 和紙も準備して、書けたものを表具屋さんに注文して、それを掛け軸としてくれました。…

数えてみよ主の恵み(47)

オルガン演奏ができるようになったのも、下宿をしていた時からです、おばちゃんが器用に足踏みでギーギー音がでるオルガンを演奏しておられたので、私もまねごとではじめました。 小河君、あんた音感がいいねーとおだてられとりこになりました、時間があると…

数えてみよ主の恵み(46)

お隣がお茶の先生で教室をしておられた、おばちゃんはそこで学んだお茶の作法を私に実技で教えます。 私の職業が設備屋(水道屋さん)ですから、肌にあいませんし困りました、でもおばちゃんはマジです、不真面目な態度で付き合うと怒りだしました。 ふすま…

数えてみよ主の恵み(45)

夜の伝道集会に行き、帰りに保安学校の学生を9時45分の門限までに正門までに送って行きました、その車中でよく言いました、小河君きょうは得したね〜、恵まれたね〜が口癖でした。 若い私でもこんなにも疲れるのに、こんなパワーがどこにあるのだろうと不思…

数えてみよ主の恵み(44)

子供達のために自宅を開放して、日曜学校をしました、毎週集う子供達が30名を超えて狭くて入れなくなりました。 友達が友達を誘って集まりました、おばちゃんは子供賛美が大好きで大きな元気な声で賛美しました、オーバーアクションで子供達を喜ばしていま…

数えてみよ主の恵み(43)

だから奉仕ができる時は元気で体が動くときは、決して愚痴をいわないで喜んで教会での御奉仕、世の中での御奉仕をしなさい。 それができない人に神様の祝福は与えられないからね、これが私に対する励ましの言葉でした、私は60歳で新しい人生を歩むことになっ…

数えてみよ主の恵み(42)

憐み・慰め・熱心に祈って下さったのです、さらに産業独立をして頑張る私を励まし、ささえて下さいました。 仕事が忙しく疲れて、家庭集会に行けなくなった時など、私は弱音を吐き愚痴ったことが何度もありました。 しかしそのような時にかぎって、澤田のお…