2019-01-01から1年間の記事一覧

過去の日記から(20)

過去の日記から、自然のさえずり(2008/4/21/記載) 私は毎朝、六時頃に愛犬ペティー(ポメラニアン)と散歩するのです、田おこし作業や田んぼに水張作業の頃になると小鳥のさえずりと、カエルのゲロゲロ合唱とが奇妙なメロディーを奏でますときたまキジの甲高…

過去の日記から(19)

過去の日記から、新しく造られた者(8) (2010/2/24/記載) 日本イエスキリスト教団・西舞鶴教会の青年会で教会生活をしていました、当時の私には、聖会や研修会などで、献身者として決断する時が何度もあったのですが、立ち上がれない、決断できませんでし…

過去の日記から(18)

過去の日記から、三重塔・金剛院(2008/4/13/掲載) 土曜日のこと、当社リホーム課長とリホーム予定の御家庭を訪問挨拶、さらに完成間近のリホーム現場を見学させてもらった、その延長で京都府舞鶴市字鹿原595番地の金剛院(こんごういん) に車を回して貰っ…

過去の日記から(17)

過去の日記から、偉大なる俳優の死去 (2008/4/6/記載) 私は洋画が大好きです20歳代には、当時京都府の東舞鶴市に浮島映画館(洋画専門)があり大げさな話ですが全作品を見たと言えるほど惚けてしまった時期があるのです、洋画を学割で見たいために東舞鶴高…

過去の日記から(16)

過去の日記から、新しく造られた者(7) (2010/2/22/記載) 日立造船(株)と飯野産業(株)舞鶴造船所が1971年に合併し、日立造船(株)舞鶴工場として新発足して、その後も幾多の変遷を経て現在に至っています、当時の日立造船(株)の初代副社長でもあり…

過去の日記から(15)

過去の日記から、新しく造られた者(6)(2010/2/20/)記載 20歳を過ぎてから教会に行くようになりテニス熱が薄れてきました、それ以上に私の人生はこれでよいのかと考えるようになっていました。(1)東京工科大学土木工学課に行くか(朝刊・夕刊の新聞配り…

過去の日記から(14)

過去からの日記、かりものの人生 (2008/3/20/記載) 玄関ポストに天理時報、人間いきいき通信があった、その中の「かりものの人生を生きる」を読んで私は共感を与えられたのです、オギャーと生まれて最初に両親を、それに兄弟を知恵を、人生の伴侶などを借り…

過去の日記から(13)

過去の日記から、新しく造られた者(5)(2010/2/18/記載) キリスト教会に行きたいと願いつつも、どこに教会があるのか調べることもせずに、半年近くが過ぎ去りました、勤めていた会社の外注業者として(Y)設備工業さんに私の担当現場の施工をお願いしてい…

過去の日記から(12)

過去の日記から、新しく造られた者(5) (2010/2/18/記載) キリスト教会に行きたいと願いつつも、どこに教会があるのか調べることもせずに半年近くが過ぎ去りました、勤めていた会社の外注業者として(Y)設備工業さんに私の担当現場の施工をお願いしてい…

過去の日記から(11)

過去の日記から、新しく造られた者(4)(2010/2/16/記載) 当時の私はこの賛美歌を聞くたびに私の心は和みました、何のいさおもない私でした。功績手柄などあるわけもない私に、イエスキリストの御許に行けば必ず心が癒されると信じるようになり、教会に行き…

過去の日記から(10)

過去の日記から、新しく造られた者(3)(2010/2/14/記載) さからい気分で興味が沸かなかったら、すぐに退席しようと考えていた、有賀喜一牧師が「いさおなきわれを」を独唱された、その時には賛美歌の何も知りませんでした、私はその時に聞いた賛美は今まで…

過去の日記から(9)

過去の日記から、新しく造られた者(2)(2010/2/12/記載) 市営テニス場でボールが見えなくなるまで練習をして帰路につきました、バスに乗って通常は終点の西舞鶴駅で降りるのですがその日はひとつ手前の、吐月旅館前で下車しました。 友達と一緒でした下車…

過去の日記から(8)

過去の日記から、新しく造られた者(1)(2010/2/10/記載) 1968年(昭和43年)のことでした、今は亡き親父(市職員)の関係で京都府舞鶴市の小さい設備会社に就職しましたが、何をしてもむなしく感じていました、毎朝8時00分に出社して事務所で好きでもない…

過去の日記から(7)

過去の日記から、「坂の上の雲のあとがき」(1)(2010/1/30/記載) ビデオ撮りのサンデープロゼクト(1月17日放送)を見ていて、非常に興味深く思った、4人の著名な大物エコノミストに田原総一朗が問う番組で、榊原英資(早稲田大・教授)水野和夫(三菱UFJ…

過去の日記から(6)

過去の日記から、除雪作業の感謝 (2008/2/17/記載) 体調不良が長引いている、礼拝厳守だが昨日からの大雪で40cm程積もり自宅裏の駐車場で車がユーターンできず立ち往生、さらに玄関先と駐車場入口に国道除雪の固まりが山盛りなのです、ボチボチ手作業で雪か…

過去の日記から(5)

過去の日記から、隣人を愛する(2)(2010/1/28/記載) 隣人を愛する、この言葉ですが日本国際飢餓対策機構が目指す一つに明記されています。(1)人々が生活の基本的必要に満たされ自立する。(2)人々が自分の可能性を信じ、希望を持って生活し、隣人を愛…

過去の日記から(4)

過去の日記から、隣人を愛する(1) (2010/1/26/記載) 某市議が訪問、塩狩峠の朗読CDをプレゼントして下さった、三浦綾子作・中村敬子朗読で約60分少々の朗読です、塩狩峠は感動の映画でした。 私達の教会でも映画伝道を開催し多くの人達に見て頂いたこと…

過去の日記から(3)

過去の日記から 介護用ベッド (2010/1/20/記載) 1993年に家内の母が倒れて、歩行ができなくなった時に購入して2008年12月25日に召されるまで在宅介護で使用していた介護用ベッドがあります、今日は、資料整理がひと区切りしたので寝室のリニューアルをしまし…

過去の日記から(2)

過去からの日記、 奉仕の喜び (2010/1/18)記載 聖日礼拝を守ることができ感謝です、いろんな思いが交錯しています、しかし私達夫婦にはこの時間が非常に大切です、奉仕する喜びも感じます。 (1)視力障害者(未熟児網膜症で視力をなくした双子の兄弟を車で…

過去の日記から(1)

悪夢からの解放 (2010/1/4/記載) 急傾斜の長~い坂道を、心臓疾患の持病を持つ男性が背中に重い荷物を背負って、頑張って休まず歩き続けている。 背後から叱咤激励している数人の人達にムチ打たれているようにも見える、その人は私によく似ている。 すぐ側で…

破傷風菌との戦い(77)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 今後6月末頃に職場復帰する目標を定めリハ…

破傷風菌との戦い(76)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。 心から主の御名を賛美…

破傷風菌との戦い(75)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。 5月末までに決算報告…

破傷風菌との戦い(74)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。階段の上り下りが本当に…

破傷風菌との戦い(73)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。 5月11日(木)は車…

破傷風菌との戦い(72)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。 夜が情緒不安定になっ…

破傷風菌との戦い(71)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。本日より個室から特別室…

破傷風菌との戦い(70)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。 私の胸部に衝撃を感じ…

破傷風菌との戦い(69)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。2000年5月8日(月)私…

破傷風菌との戦い(68)

第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。 私の記憶を通して。恵美子に足をもむように…