過去の日記から(313)

数えてみよ主の恵み(36)1973年 6時00分からの早天祈祷会に少し遅れたことが数回あったのです、参加者が牧師夫婦と私だけの早天祈祷でした。 牧師がお祈りしておられました、私に気づかず牧師の長~いお祈りを聞いただけで、牧師夫人に軽く会釈して帰宅…

過去の日記から(312)

数えてみよ主の恵み(35)、1973年 事務所の前面シャッターを下げてしまうと、昼間でも光がなく真っ暗でした、ひとり(孤独)でいることが苦痛でした。 高浜に引越してから数ヶ月間は早天祈祷会(6時00分)に行きました、車で片道30分かかりました。 日本イ…

過去の日記から(291)

数えてみよ主の恵み(11) 1970年12月25日のクリスマスに、日本イエスキリスト教団・西舞鶴教会の中村清孝牧師から洗礼を受けました、その時に御言葉をプレゼントされました。 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべての事について、感謝しなさい…

過去の日記から(290)

数えてみよ主の恵み(10) 日曜日の夜(7:00pm前)になると、御夫婦で長尺ダンプで迎えにきて下さいました、嫌でも断れませんでした。 クラックションの音で下宿を出て行きます、初めて行った教会は私の想像していた教会とは全く違いました。 普通の2階建…

過去の日記から(289)

数えてみよ主の恵み(9) キリスト教会に行きたいと願いつつ、どこに教会があるのか調べることもなく数ヶ月が過ぎました。 勤めていた会社の外注業者として(Y)設備工業さんに私の担当現場の施工を発注していました、ところが親方さん夫婦が熱心なクリス…

過去の日記から(288)

数えてみよ主の恵み(8) 本田弘慈牧師が、私の後頭部に手を添え祈られた、いまでもその温もりを感じます、汝の罪許されたり。 兄弟、君は今日から新しい人生が歩めると断言された、その時の手の温もりは忘れることはできない。 大げさな話だと思われるでし…

過去の日記から(287)

7数えてみよ主の恵み(7) 当時の私はこの賛美歌を聞くたびに私の心は和みました、何のいさおもない私でした。 功績手柄などあるわけもない私に、「イエスキリスト」の御許に行けば必ず心が癒されると信じるようになりました、教会に行きたいとの思いが益々…

過去の日記から(286)

数えてみよ主の恵み(6) 本田クルセードで語られたのは確か神は愛なりだったと思います、説教内容までは覚えていませんが、この時の感動は不思議でした。 夢遊病者の如く、本田牧師の招きで講壇の前まで行きました、本田弘慈牧師は福井県丸岡市出身です。 …

過去の日記から(285)

数えてみよ主の恵み(5) さからい気分で興味が沸かなかったら、すぐに退席しようと考えていました、有賀喜一牧の「いさおなきわれ」を賛美されました。 今までに聞いた歌で最高の感動で興奮しました、無償だったペラペラの赤いビニール製のレコード盤でし…

過去の日記から(284)

数えてみよ主の恵み(4) 40数名の集会でしたが、私の人生観が一変してしまいました、私は、新しい人生があるのならキリストを信じたいと思いました。 ① 聖書の御言葉です だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である古いものは過ぎ去っ…

過去の日記から(283)

数えてみよ主の恵み(3) 東舞鶴の市営テニス場でボールが見えなくなるまで練習をして帰路につきました、京都バスで通常は終点の西舞鶴駅で降りるのですが、その日に限って手前の「吐月旅館前」で下車しました。 友達と一緒でした下車したその前に、「本田…

過去の日記から(282)

数えてみよ主の恵み(2) 1968年(昭和43年)のことでした、テニスで勝利することが唯一の楽しみで生き甲斐となっていました、テニスで勝利し目的をはたしても、私はむなしさから逃れることはできませんでした。 ボールが見えなくなったらテニス友達も帰宅…

過去の日記から(281)

数えてみよ主の恵み(1) 1968年(昭和43年)のことでした、今は亡き親父(舞鶴市職員)の関係で(無理矢理)京都府舞鶴市の設備会社に就職しました、希望しての就職ではないので、何をしてもむなしく感じていました。 毎朝8時00分に出社して事務所で好きで…

過去の日記から(280)

事業継続断念の経緯、(最終) 起業するよりも、事業停止がどれほど難しいことであるかを知らされ、苦しくて悩みました。精神的にも非常に厳しい状況に追い込まれていきました、事業継承と健康問題で私個人が神様の前に冷静に判断できるか否かでした。 しか…

過去の日記から(279)

事業継続断念の経緯(6) 連休前の手術は認められず結果は2009年5月12日に手術と決めました、手術日が月末まで伸びてしまうと、支手決済のこともあり手術などしておれません。 私の脳裏には常に会社経営のことがあります、会社の風評を抑えられないと倒産せ…

過去の日記から(278)

事業継続断念の経緯(5) 2009年4月14日(火)に精密検査のため入院しました、心臓冠動脈の劣化は65歳頃から少しずつ起こってくるそうですが、私の場合はすでに生じていて要注意です。 心臓CTの結果は冠動脈がかなり細っている箇所がある、2003年7月4日に…

過去の日記から(277)

事業継続断念の経緯(4) 私は自分の健康状態が危険水域にあると思いました、2009年4月から5月は最悪でした。 ビジネスも、健康状態も順調ですと、信仰生活も日々の神様とのデボーションも力強いものです。 しかし最悪の状況に追い込まれると人間って弱い者…

過去の日記から(276)

事業継続断念の経緯(3) 風評を抑えられないと倒産に追い込まれることは明白であります、仕入先の支払条件が急変し ました、受注工事が激減して経営危機が表面化したのです。 私自身(社長)の健康問題も表面化しました、①心臓冠動脈の2回目の手術したこ…

過去の日記から(275)

事業継続断念の経緯(2) 2月末日の支手決済は時間との戦いでした、家内の運転で取引先を駆け巡り 3 : 3 0pm 頃でしたが、決済を済ませました。 しかしその時に第 1 回目の不渡手形をだしたとの風評、デマが飛びかってしまいました、それは 2 0 0 2 年から…

過去の日記から(274)

事業継続断念の経緯(1) 2009年3月2日(月)にセフティーネット融資金が得られると信じていたが、前日の夕方に銀行融資できないと通告を突然うけました。 翌日の3:00Pmまでに1500万円の資金手当ができないと不渡手形がでてしまう、絶対絶命の危機に突然落…

過去の日記から(273)

信徒献身すべき(7) 教会には信徒献身者が必要だ起業して、主の「宣教の業に寄与すべき」との使命をいただきました。 1973年6月 15日の夜に起業決意しました、その時に与えられた御言葉を、社訓 に決めました。 常時喜悦・不断祈祷・万事感謝 と書いてもら…

過去の日記から(272)

信徒献身すべき(5) 自分の進むべき道を決断できず、神学校で学び献身したいとも思うがそれも決断できず悩みました。 詩篇46篇とマタイ伝6章の25節から34節までの御言葉を通して導かれたのです。 要するに衣食住には心配することはない、空の鳥や、野の草…

過去の日記から(271)

信徒献身すべき(4) 儀礼的なお礼だけで済ませていました、しかしその夜は不思議な導きがありました。 普通は正座して祈ることをしないのですが、密室になったベッドの上で正座して詩篇46篇1節を読むように導かれたのです。 (1)神はわれらの避け所ま…

過去の日記から(270)

信徒献身すべき(3) 私は熱心なクリスチャンのお婆さん宅で下宿していました、息子さんが開業医でお婆さんの定期往診に来られた時に、腰痛で休んでいる私の診察もしてくださった。 これは尿導管結石に間違いない、国立舞鶴病院に紹介状を書いて下さり緊急…

過去の日記から(269)

信徒献身すべき(2) 私の心の中に神学校で学び直接献身したいとの思いも大きくなりました、当時の特別伝道集会や聖会では献身者を募る招きがありました。 献身の使命を受けて立ちあがった人達が数人いました、私の脳裏では直接献身を決意しているのですが…

過去の日記から(268)

信徒献身すべき(1) 私の人生はこれでよいのだろうかと、真剣に考えるようになり悩みました、1971年1月から毎週聖日礼拝に行きました.。 その頃にはテニスに対する情熱が低下していました、現場代理人として設備設計、現場施工が楽しくなってきました。 若…

過去の日記から(267)

本田弘慈・クルセード(3) 友達と一緒でした、キリストの集会をさからいに行こうか、と時間稼ぎのつもりで参加した、キリスト教の「特別伝道集会」でした。 確か40数名の集会だと記憶していますが、この集会で私の人生観が大きく変わったのです。 さからい…

過去の日記から(266)

本田弘慈・福音クルセード(2) これでよいのか、このままでは駄目だと思うがどうすることもできず、下宿で閉じこもりました、このような空しい生活を過ごしていた1970年(20歳)のことでした。 本田・福音クルセードに偶然に遭遇したのです、この日も薄暗…

過去の日記から(265)

本田弘慈・福音クルセード(1) 親父(舞鶴市職員)の関係で京都府舞鶴市の会社にイヤイヤ就職しましたが、自分の希望先ではないので何をしてもむなしく感じました。 毎朝8時出社、5時をまって退社、市営テニスコートにまっしぐらでテニスに没頭しました…

過去の日記から(264)

60歳までの経緯(2) 連鎖倒産は免れましたが、建設業界構造不況、公共事業の激減、原油高騰から材料費の高騰、なども重なって厳しい会社経営をその後も7年続けていました。 会社再建を目指して営業努力をしましたが、余裕のない資金繰り、私の心臓病等の…