2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

数えよひとつずつ(おばちゃん9)

中島彰牧師(牧羊書)が講師で舞鶴に来られた時のことです、おばちゃんの家で「御言葉」を墨字で書いてもらった、少々強引にたのんでくれました。和紙も準備、書けたものを表具屋さん注文して「掛け軸」としてくれました。2作品あります、現在では自宅の事…

数えよひとつずつ(おばちゃん8)

オルガン演奏ができるようになったのも、下宿をしていた時からです、おばちゃんが器用に足踏みでギーギー音がでるオルガンを演奏しておられたので、私もまねごとではじめました。「小河君、あんた音感がいいねー」とおだてられ、とりこになりました。 時間が…

数えよひとつずつ(おばちゃん7)

今日はおばちゃんの誕生日やから祝福会をやろうと、数人にお誘いしたところが10の人達が集まり、恵まれた楽しい誕生会となったのです。そのことがよよほどうれしかったようで、何回もその時の話しを他の人達にしていました。 お隣がお茶の先生で教室をして…

数えよひとつずつ(おばちゃん6)

子供達のために自宅を開放して日曜学校を一緒にしました、毎週集う子供が30名を超えて自宅では狭くて入れなくなってしまったのです。当時は友達が友達を呼び集めてくれました。おばちゃんは子供賛美歌が大好きで、大きな元気な声で歌い、オーバーアクショ…

数えよひとつずつ(おばちゃん5)

忙しいのは生きてる証拠!教会の礼拝に行きたくても行けなくなる、奉仕したくても体が動かなくなる、その時が必ずくる。だから奉仕ができる時は元気で体が動くときは、決して愚痴をいわないで喜んで教会での御奉仕、世の中での御奉仕をするように。 それがで…

数えよひとつずつ(おばちゃん4)

20数年間は自宅を開放して家庭集会が継続されていました、多くの人達がクリスチャンとなりましたし、悩んでいる人達の相談にものっておられました、元気な頃の「おばちゃん」は祈りの人でした。 「おばちゃん」の紹介で結婚した姉に双子の男子が与えられま…

数えよひとつずつ(おばちゃん3)

私は1970年、ちょうど20歳の頃からお世話になりました。それ以来(S)お婆ちゃんのことを「おばちゃん」と呼んでいました。おばちゃんのお兄さんは「若狭冠句会」の指導者で副会長でした、その若狭冠句会の会長をしていた友人の長男さんに私の姉を紹介し…

数えよひとつずつ(おばちゃん2)

私が下宿していた三年間は、昼弁当・お風呂・下着の洗濯・などのすべてのお世話をして下さったお母さん代わりのお婆ちゃんでした。下宿をでて高浜で起業してからもずーと、愛され祈られてきました。 平成15年10月27日(月)に京都府東舞鶴の「あいメモ…

数えよひとつずつ(おばちゃん1)

1973年9月から幾多の変遷を経て京福設備工業(株)は動きだした。会社経歴書を紐解きながら、主なることを「ブログ」に順次掲載したいと思っています。 私の人生(若い頃)に大きな影響を与えた二人の人物がいます、一人は掲載済みの(I)氏です。もう一人が…

数えよひとつずつ(2)

事務所の前のシャッターを下げてしまうと、昼間でも光がありませんでした。ひとり(孤独)でいることが苦痛で、高浜に引っ越して数ヶ月間は早天祈祷会(6時00分)に行きました。 片道30分かかりましたが、日本イエスキリスト教団・舞鶴教会(谷口殉牧師)で付…

数えよひとつずつ(1)

私は1973年8月から、福井県大飯郡高浜町宮崎に親父が「若丹設備工業所」を設立して事務所を借りていましたのでとりあえず引越しました。 最初に1973年9月3日に京福設備工業(株)と社名変更して、舞鶴市役所に30年以上勤め退職した親父と私とで起業したので…

新しく造られた者(13・2)

私が起業決断できた、聖書の御言葉を(マタイ伝6章31節から34節)。紹介します。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。 あなたがたの天の父は…

新しく造られた者(12)

当時、日曜日(夜)は「伝道集会」の案内でこの御言葉を語っていましたのでよく知っていました。 「ありがとうございます」と儀礼的なお礼を言っただけで済ませていました、特別意識などしていませんでした。けれどもその夜は不思議なことが起こりました普通…

新しく造られた者(11)

1973年6月12日だったと記憶しています、腰が痛くて動けなくなり下宿先で寝ていました。当時、東舞鶴溝尻の(S)さん宅に下宿していたのです。(S)お婆ちゃんは小浜出身で若い頃は「産婆」さんでした。熱心なクリスチャンで私の信仰の母となりました。その…