2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

数えて見よ主の恵み(2012年)

2012年のブログ掲載も今回で最後とします、今年は大きな決断をしましたがすべてに於いて幸いでした。 今年の5月に大阪市豊中市に引越(長男と同居)して早くも8ヶ月が経過しようとしています、愛読して頂いているみなさまに感謝します。 新年度は1月5日頃か…

愛娘がFacebookに投稿

破傷風菌との戦いと題して現在も連載中ですが、連載初期にBon Moore(愛娘)がFacebookに投稿した文章です!。 わたしの父親が、2000年に経験した破傷風との闘病生活をブログで連載しはじめました。 2000年、その頃のわたしは、大学へ入学し大阪で新しい生活を…

みんなにありがとう(15)

熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、これらのできごとは、私の親戚(身内)での話しです、しかし現在では、要介護者や傷害者の方々が私達の周囲にたくさんおられます。 生活すること(生きる)に苦しみ、悲しみ、どうしてよいか解らない、高齢化…

みんなにありがとう(14)

熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、両親は、大雪であっても土曜日になると午後から福井市内にある盲学校まで迎えに行かれました、日曜日の夕方にはお別れです。 それはどんなに悲しんでも寂しがっても宿舎でお別れでした、お互い苦しいことであ…

みんなにありがとう(13)

熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、ラジオから流れる賛美歌、教会からの牧師メツセ−ジなどが兄弟達の心のささえになっていたようです。 この事を、「証し」で本人達の口から聞いたとき、私は感謝で涙がでました、「光り」を見出すことはできな…

みんなにありがとう(12)

[ 熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、幼稚園卒業後は両親と離れて暮らす生活となりました、どんなに寂しい悲しい思いをしたことだろうか。 でも両親は心を鬼にしてでも教育を受けさせるべきだと思って福井県立盲学校へ入学させました、今度は家…

みんなにありがとう(11)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、キリスト教系の幼稚園でしたので食前感謝のお祈りや賛美歌なども学び楽しく過ごしました。 ある日のことでした、友達とサッカ−ボールで遊びました、ぐ近くからボ−ルいくよとの声がしたがいつまでまってもボ…

みんなにありがとう(10)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、すべての治療が手遅れでした、1973年に兄弟達は障害者手帳を持ったのです。 点字を学ぶために4歳で福井県立盲学校幼稚部に入学したが、家恋しさで1学期で中退、小浜にもどり、市内にあるキリスト教系幼稚…

みんなにありがとう(9)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、結論的には、今後の相談を家族でなさった方が良いと思いまだすで、本当にショックでした。 家に帰つて先生の言葉を姉夫婦に伝えたかどうかすら覚えていません、どうしたらいいか、なぐさめようがない、自分…

みんなにありがとう(8)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、その後の姉は自分に言い聞かせるように、大丈夫、大丈夫だってとくり返しくり返し語っていました。 両親は全国の病院を探し回りました、玄米食がよいらしい等とあらゆる努力をしました。 私も京都大学眼科…

みんなにありがとう(7)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、良平君は上の姉の長男で健士・康士・兄弟よりも4カ月遅く生まれています、良平君を抱いて同じように左右に動かしています、どうしたの??。 遅く生まれている子供が電気の光りを追って目を動かすのに、健…

みんなにありがとう(6)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、兄弟達は1972年11月に妊娠8ケ月の未熟児で生まれたのです、健士兄は1350g.康士兄は1270gで生まれた。 2ヶ月間病院の保育器の中で過ごし退院その後6ヶ月がたった頃に視力障害があるのではないかと気がつき…

みんなにありがとう(5)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち、中野清秀・川下玲子・菊地幸輝達のグループでCDを50枚作成して貰った。 福井県名田庄村三重、「喫茶・レオ」から生まれた、「愛をありがとう」は傷害者が家族に対して心から感謝している、今こそ「友愛」…

みんなにありがとう(4)

未熟児網膜症で視力を失った双子の兄弟の生い立ち。 「愛をありがとう」、歌詞 (1)僕の名前はけんじです、こんなにおーきくなりました。 家族の愛に守られて、生きるとうとさ知りました。 はじめて家を離れたころは、泣きたい夜もあったけど、 心の中にい…