2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

過去の日記から(248)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(24) 自宅の妹さんに電話して、2月12日(日)聖日礼拝が終了する、午後には病院に行くことを伝えました。 教会での各部例会が終わりすぐ家内と病院に駆け込みました。 多量の輸血、ここ数日間で2000ccと言わ…

過去の日記から(247)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(23) ある日の朝、高浜支店の私の机の上にきちんと整理された図面と書類が完成しておいてありました、あわせてしばらく自宅で休みたいと書いてありました。 それから数日後に再び彼は入院しました、私は朝のミーティ…

過去の日記から(246)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(22) 社員にもありのままの症状を知ってもらいつつ協力を願っていました、でも阪神大震災の影響もあって、国道27号線の渋滞は彼には非常に苦痛となりました。 舞鶴・高浜間が普通20分の所要時間ですが、当時は国…

過去の日記から(245)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(21) 肺の中の水を抜き去り、点滴をしてガンと闘い負けなかった彼は、本当に奇跡的に退院をしたのです。 この時期には社内で彼は再び会社へ復帰することは無理であろうと語っていたのです。 1995年2月6日~199…

過去の日記から(244)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(20) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃんと(仮名)このような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが…

過去の日記から(243)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(19) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 自分の死を直前にしている彼に私は、山ちゃん(仮名)とこのような話しをしていることは、普通では考えられないことをお互い話していると思うのだが…

過去の日記から(242)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(18) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 でも山ちゃん(仮名)、自分の意識がはっきりしていて自分にそのように意識付けできる場合はそれで良いと思う。 しかし、死とは、その意識すら取り去…

過去の日記から(241)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(17) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 彼は自分の人生哲学をもっていて、他の人達にも充分な説明ができました、その考え方に精神力に感心させられました。 自分の魂は、遺伝子を通してす…

過去の日記から(240)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(16) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 私は語るときはこの時だと思ってその後に、喫茶店で3時間ほど話し合いました。 山ちゃん(仮名)、何故レントゲンが受けれないのか、胸の中にしまっ…

過去の日記から(239)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(15) 1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院 社員全員に対して健康診断を受けるよう朝礼で指示して、あわせてレントゲン検査も受けることの指示をいたしました。 みんなが事務所より出てい…