2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

過去の日記から(238)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(14) 1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院 肺炎になって、苦しくて歩くことすらできません、必至になって出社してくる彼が痛ましかった。 健康者と同じ扱いで仕事がしたい、と常々私に懇…

過去の日記から(237)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(13) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 びっくりしたのは周囲の人々でした、その精神力に感心をしたとのことです、彼はこの頃から死に対して進行している自分を100%現実として受け入…

過去の日記から(235)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(12) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院 それら個人・個人の集まりが会社という組織となり、大きな力となる、だから最終的には個人主義はある意味で、悪ではないだろう。 癌と闘っている山…

過去の日記から(234)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(11) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院 会社の中で私に対して、会社のために働いているのに、という人がいた場合、一番頭に来る言葉だ!。 自分のために働くのであって、会社のためとい…

過去の日記から(233)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(10) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院 主治医が、あなたの会社名を教えてくださいという問にたいして○○会社です、とゆるやかな反応を示したそうです。 奥さんと子供達がその反応を見せ…

過去の日記から(232)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(9) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院 いろんな話しをした、その時のテーマはこうです、ある朝日新聞の社説欄を読んで非常にショックを受けたことがあります。 それは私の会社と職種が同…

過去の日記から(231)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(8) 1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院 私はガンの活動が再び激しくなったと思いました、ちょっとでも塩分があると激しく痛み食事は流動食となります。 転移が口へ喉へ肺へとひろがってき…

過去の日記から(230)

数えてみよ主)の恵み、癌と闘った社員(7) 1993年10月13日~1994年3月10日 (闘病生5カ月間)国立舞鶴病院 1994年3月11日、元気で職場へ復来しました、それから6ケ月間は仕事をしました。 当時は私も癌と喧嘩しないで仲良く生活できるかも知れないと思った…

過去の日記から(229)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(6) 1993年10月13日~1994年3月10日 (闘病生5カ月間)国立舞鶴病院 癌があり、手術では完全に取れなかったそれが口へ、喉へ、肺へ、転移していることを教えてもらった、物凄いショックを受けました。 数日後に山ちゃ…

過去の日記から(228)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(5) 1993年10月13日~1994年3月10日 (闘病生5カ月間)国立舞鶴病院 山ちゃん(仮名)私はクリスチャンだ、早く元気になるよう祈っいるからと伝えました、手術が終って4日目に見舞いに行きました。 何故なら不安と心…

過去の日記から(227)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(4) 1993年10月13日~1994年3月10日 (闘病生5カ月間)国立舞鶴病院 局部的にコバルト治療をしてもその菌は周囲に散るだけで再びリンパに集まる、同じ周期で高熱を繰り返すのです(40度程度の熱)。 そのことが今心…