本田弘慈・福音クルセード(1)

1970年のことでした親父(舞鶴市職員)の関係で京都府舞鶴市の管工事設備会社に就職しましたが、自分の希望先ではなかったので何をしてもむなしく感じていました。
毎朝8時出社、5時をまって退社、市営テニスコートにまっしぐらでテニスに没頭しました、宿舎には寝るだけに帰る生活だった、テニスの試合で勝利することが唯一の喜びで生き甲斐でした。
でもテニスの試合で勝利しても、心のむなしさからは逃れることはできません、下宿に帰るのが辛くなっていました。