「伝導映画会」の証し(6) 

私が何故このような「証し」をするかと言いますと、無能鈍才の私をクリスチャン経営者として今まで養って下さったのは、間違いなく神様の祝福でした。誰にだって神様の祝福が注がれていると言うことを知って頂きたいのです。
求めるか、求めないか、神の存在を無視して人生を送るか。それとも神の存在を意識して人生を送るか、どちらかの選択しかありません。本日の映画、水野源三さんの「瞼の詩人」は必ず多くの教訓を頂けると信じています。(完)