行いのない信仰

私は事業を停止、事後処理をみどり法律事務所(笠原一浩弁護士)に一任して自己破産の準備をしています。心の中にはいろんなことが交錯して正常な「精神状態」ではないかもしれません、多くの人達から電話を頂き励まされています。
「破産者」ではありますが、決して暗い落ち込んだ生活はするつもりはありません、私が零細起業家として37年間の業績と破産に至るまでの貴重な体験を多くの人達の前で「証し」するチャンスが必ず与えられると思っていますので、これから20歳(男性平均寿命80歳)になるまでの生きざまを大切にしたいと祈らされています。
多くの債権者のみなさまには、まことに申し訳なく、心よりお詫びいたします。
<聖書の言葉を紹介します>(ヤコブの手紙2章15〜18)
もし、兄弟また姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたの誰かが、「平安のうちにいきなさい。温まりなさい。食べて満腹しなさい」と言うだけで、体に必要なものは何一つ与えないならば、何の役に立つでしょうか。同じように、信仰も行いがなければ、それだけでは死んだものです。
霊のない体が死んでいるように、行いのない信仰も死んでいます。