新しく造られた者(9)

当時、(I)氏は自民党の議員でした。しかし京都府は蜷川知事で革新府政でした、その頃に親父は自治労委員長をしていたこともあり政治的(保守・自民)には賛同できなかったようでした。
親父は天下りして、その立場に座ることに違和感があったようで最終的にその話にはのらずに、私の独立する準備をしてくれたのです。
1973年7月頃だったかと記憶しています、私は事務所で(I)氏に私の熱い思いと決意を伝えました。その若さでの独立は非常に難しいからと説得されましたが、「信仰をもって起業したい」と懸命に了解をして欲しいとお願いしました。
話し合いの結果、しばらくは「専属下請」として独立準備をする、京福設備工業(株)の社名入り軽四(ボンゴ車)で私の担当現場も兼ねることを条件で起業することを許して下さったのです。
その数年後に(I)氏は病(癌)で召されました。まだまだお元気で私の起業を見守って下さると信じていましたので、当時の私には凄いショックで悲しいできごとでした。