新しく造られた者(12)

当時、日曜日(夜)は「伝道集会」の案内でこの御言葉を語っていましたのでよく知っていました。
「ありがとうございます」と儀礼的なお礼を言っただけで済ませていました、特別意識などしていませんでした。けれどもその夜は不思議なことが起こりました普通、正座して祈ることはありません。
(1)神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
(2) 静まって、わたしこそ神であることを知れ。
(3) 万軍の主はわれらと共におられる。
産業独立も規定路線にありながら「決断」できず、神学校で学び献身したいと思うが、それも「決断」できないでいる私に対して詩篇46篇からさらにマタイ伝6章25節34節までの御言葉を読むようにと導かれたのであります。
1973年6月15日の夜には、聖書の御言葉を通して、単細胞の私は、特にマタイ伝を読み終わった私は、なぜか気分的に楽になりました。
要するに「衣食住」に関しては心配するな、空の鳥や野の草花は神に養って貰っている、働きもせず、何もしていないが「餓死」していないではないか、だったら心配する必要はない、退院したら私の決意を(I)氏に語ればよいだけでした。