たといそうでなくても(4)

私は、日曜学校で子供達にジョークで語ることが得意でした。早口言葉で子供達に「ネブカデネザル、メシャク、シャデラク、アベデネゴ」と言って暗記させていた。安利淑先生は、日本で教育を受けて韓国に帰り私立のミッションスクールで音楽の先生をしていた、さらに日本語を教える先生として勤務していたそうです。
日支事変が本格的に(中国侵略戦争)なった頃には、日本軍がクリスチャンをねらうようになり強制的に「まことの生き神であらせられる天皇閣下と、天照大神と、皇大神宮、やおよろずの神に向かって最敬礼!」。頭が地に着くほど最敬礼を強制させられたそうですが、安利淑先生は子供達の先頭に立っていながら、最敬礼をせず直視したままでした。