たといそうでなくても(5)

学校、官庁、各家庭、ついには教会の講壇にまで神棚が置かれクリスチャン達が礼拝する前にまず日本の神棚に最敬礼させられ、信者の行動を監視したそうです。そのような状況下でも、安利淑先生は「最敬礼せず」生徒の前で自分の信念を貫かれたのです。
そのために激しい拷問と迫害にあいますが、御言葉と賛美歌を暗記しておられたことが力となって生き抜かれました。まさしくシャデラクとメシャクとアベデネゴはネブカルネザル王の造った金の像を拝まなかった。まことの神を信じることに、妥協や、信仰のぶれは、神様の祝福を阻害してしまう。
私は、25歳の頃に初めて読んだ安利淑先生の、「たといそうでなくても」で感化されました。(ダニエル書3章)と一致したのです。