癌と闘った社員


癌と闘った社員 2009年3月11日掲載

1995年2月20日午前3時17分彼は昇天した、母に対して「もう終ろう、終りにしよう、もう終りや」と手話でアイラブユーを示したそうです。

本当に御苦労さまでした、私に生きる尊さを教えてくれました、看病する人達や家族に対する気配りや思いやりを示してくれました、ありがとう安らかに眠られたり、私の日記の一部分であります、35歳で召された優秀な社員でした。

主治医に自分のレントゲンを見せるように願い告知をうけました、国立舞鶴病院の婦長と私の二人に自分が肺ガン(末期)であることを伝えていました。

陶芸に熱心でしたので、婦長が親しい画廊喫茶で故人作品展を開催してくれた、私にプレゼントの「花瓶」と一緒にメッセージが添えてありました、決して水漏れ検査はしないように、少し深底の「お皿」のうえに「花瓶」がセットされていました、私はいまでも約束のごとく、「水張り」検査はしていません。

http://blog.livedoor.jp/emo1118/archives/50306186.htm

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