過去の日記から(132)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(6) (2009/4/25/掲載)

私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。

その細菌と脳髄中に生息している免疫体が戦い勝利したが、その免疫体が強くなりすぎて自分の脳を守っている細菌(味方)を食べ始めたのが原因と考える。

明日より副腎ホルモン剤及び栄養剤を点滴する、これは感染症を併発する副作用があるので注意して治療に当たる。

2000年4月13日(木)にはMRA検査及び脳髄検査を行いました、

2000年4月13日(木)脳髄検査のために脊髄注射を3回するが腰が曲がらないので髄液摘出ができず、非常に痛く辛い思いをした。

この頃はすでに背中の筋肉硬直が始まっていたのです、10:00Pm頃だと記憶している。

私自身では20分から30分ごとに背中全体に逆エビケイレンと筋肉の硬直が起きていたようです。

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過去の日記から(131)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(5) (2009/4/25/掲載)

私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。

2000年4月12日(水)は再度CT検査・心電図検査がありましたが異常が発見できません、私は自分の体調が異常だと直感していました。

(1)背中が曲がらず、パンツが履き難い。

(2)口の開口が辛い。

(3)言語障害が進行してる。

私は家内に高浜病院まで来て貰って、主治医から検査結果の説明を求めるように指示しました。

私達夫婦には約束していることがあるのです、医師の告知はお互いに隠さないで一緒に聞いて信仰的に受けとめることです。
主治医の説明では脳血栓脳梗塞ではなくて脳を保護する脳髄に何らかの細菌が進入したようだ。
その細菌と脳髄中に生息している免疫体が戦い勝利したが、その免疫体が強くなりすぎて自分の脳を守っている細菌(味方)を食べ始めたのが原因とも考えられるとの説明でした。

過去の日記から(130)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(4) (2009/4/25/掲載)
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。
2000年4月11日(火)9:30Am、社会保険・高浜病院外来内科で診察をうけました、病院長の診察でした。
脳レントゲン・CT検査等々受けたがレントゲンで見る範囲では異常はなかったのです。
この時病院長は脳レントゲン確認のために滋賀医科大病院から2000年4月1日より赴任の専門外科医平岡先生を呼び確認された。
私の主治医は平岡先生となりました、現実に言語障害の症状はあります、もっと詳しい検査が必要であるので即入院。
絶対安静、脳梗塞及び脳血栓の疑いもあるので、48時間血行改善剤薬の点滴を行うとの説明があった。

過去の日記から(129)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(2) (2009/4/24/掲載)
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きましたので、病床記録をのこします。
2000年4月9日(日)私は日本イエスキリスト教団・舞鶴福音教会の聖日礼拝に行きました、ひとりの姉妹が小河さん顔色が少しどす黒いが日焼けしたの??と言われる、背中が痛く牧師が指圧をしてくださった。
そして本社事務所で日曜出勤の社員に何故か言葉がしゃべり難いことを伝えて帰宅した、この頃より破傷風の症状がでていたようすが、私はこの症状は間違いなく、交通事故の後遺症と思っていました。
2000年2月14日(月)国道27号線で道路工事の信号待ちしている私の車に、4T・レッカ-車が前方より横転してきて停車中の私の車に激突してきたのです、幸いにも軽症で助かったのです。

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過去の日記から(128)

過去の日記から、破傷風菌との戦い(1) (2009/4/22/掲載)
2000年4月1日(土)10:30Am、自宅排水路の掃除をしていた時にバランスを崩して倒れました。
その時に左手をついて、中指と人差し指の間に軽いケガをしました、ケガは大したことがなく自宅で消毒等の治療を施しました。
その後は通常通りの生活をしていました、数日で傷口もふさがりました、うす赤い丸い皮が張り、小さい突起ができていました。
突起部分の周りが赤く腫れれていましたがそれも徐々に少なくなってきました、でも普通より長い期間腫れが治らず??でした。
私はこの軽いケガを通して貴重な体験をします、クリスチャンとして信仰者として多くの恵みを頂きました。
肉体的・精神的にも辛く、苦しい破傷風菌との戦いでした、将来のために家内にも協力を願って病床記録をのこします。

過去の日記から(127)

過去の日記から「祈る」ことの大切さ (2009/3/29/記載)
今週も聖日礼拝に行くことができて感謝します、メッセージでは「祈り」について語られた。礼拝で語られた聖書のカ所を紹介します。
あるとき友人が真夜中に友よパンを三つ貸して下さい、友達が旅先から私のところに着いたのですが、何もだすものがありませんと懇願したのです。
彼は内から面倒をかけないで、戸は締めたし子供達も床にいるから、しかし、しきりに願うので必要なものを与えた。
そこでわたしはあなたがたに言う、求めよそうすれば与えられるであろう、捜せそうすれば見いだすであろう、門をたたけそうすればあけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(マタイ7)
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過去の日記から(126)

過去の日記から(5)、キャド導入の経緯 (2009/4/9/記載)
コンピューター会社の技術指導者との出逢いは私の人生で大きな転換期でした。
PCキャドを購入したので会社がその指導に「彼を」派遣したのです、当時私がどのようなことを彼に話したのかは明確には覚えていません。
しかし当社の業務をできうる限りコンピューター化したいことを熱心に語ったようです、当社に入社して私が考えていることに取り組んでほしいと願いました。
彼にすれば、私の熱意と、このような零細企業の社長にしては、めずらしい考えの持ち主だと思ったそうです。
祈りが応えられると信じていました、とうとう彼を口説き落としたのです、ともあれコンピューター専門技術者が入社しました。