過去の日記から(272)

信徒献身すべき(5)
自分の進むべき道を決断できず、神学校で学び献身したいとも思うがそれも決断できず悩みました。
詩篇46篇とマタイ伝6章の25節から34節までの御言葉を通して導かれたのです。
要するに衣食住には心配することはない、空の鳥や、野の草花でも、神が豊かに養っておられる。
働きもせず何もしていないのに餓死していない、何も心配はない、起業しても衣食住は心配せずともよいのならできる。
単細胞の私の悩みは1973年6月15日の夜に解決したのです。
 

過去の日記から(271)

信徒献身すべき(4)
儀礼的なお礼だけで済ませていました、しかしその夜は不思議な導きがありました。
普通は正座して祈ることをしないのですが、密室になったベッドの上で正座して詩篇46篇1節を読むように導かれたのです。
(1)神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助
けである。
(2) 静まって、わたしこそ神であることを知れ。
(3) 万軍の主はわれらと共におられる。

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過去の日記から(270)

信徒献身すべき(3)
私は熱心なクリスチャンのお婆さん宅で下宿していました、息子さんが開業医でお婆さんの定期往診に来られた時に、腰痛で休んでいる私の診察もしてくださった。
これは尿導管結石に間違いない、国立舞鶴病院に紹介状を書いて下さり緊急入院したのです、1973年6月15日に見舞にきて下さった婦人から聖書の御言葉をいただきました。
私は毎週日曜日(夜)の伝道集会の案内をスピーカーを通して、いただいた同じ御言葉を語っていましたので、よく知っていました。

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過去の日記から(269)

信徒献身すべき(2)
私の心の中に神学校で学び直接献身したいとの思いも大きくなりました、当時の特別伝道集会や聖会では献身者を募る招きがありました。
献身の使命を受けて立ちあがった人達が数人いました、私の脳裏では直接献身を決意しているのですが、私はどうしても招きに応じることができませんでした。
まるでお尻に根がはびこっているように感じました、自分の人生はどうあるべきかと深く悩みました、しかし教会には信徒献身者が必要だとの思いが勝ってしまうのです。
 

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過去の日記から(268)

信徒献身すべき(1)
私の人生はこれでよいのだろうかと、真剣に考えるようになり悩みました、1971年1月から毎週聖日礼拝に行きました.。
その頃にはテニスに対する情熱が低下していました、現場代理人として設備設計、現場施工が楽しくなってきました。
若い時期から舞鶴市内で建築される主要な現場で機械設備担当者として実務経験を蓄積することができました。
新築ラッシュ時期でしたから建築設計者、建築施工会社の現場代理人、役所関係者との勉強会などが開催されメンバーにもなりました。

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本田弘慈・クルセード(3)

過去の日記から(267)

本田弘慈・クルセード(3)
友達と一緒でした、キリストの集会をさからいに行こうか、と時間稼ぎのつもりで参加した、キリスト教の「特別伝道集会」でした。
確か40数名の集会だと記憶していますが、この集会で私の人生観が大きく変わったのです。
さからい気分で参加した、初めてのキリストの福音でしたが私は心に大きな衝撃を受けました。
それは(1)、聖書の御言葉でした。
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である、古いものは過ぎ去った、見よすべてが新しくなったのである。(第2コリント5 章17節)
 

過去の日記から(266)

本田弘慈・福音クルセード(2)
これでよいのか、このままでは駄目だと思うがどうすることもできず、下宿で閉じこもりました、このような空しい生活を過ごしていた1970年(20歳)のことでした。
本田・福音クルセードに偶然に遭遇したのです、この日も薄暗くなるまでテニスをしてから、京都バスで帰路しました。
普段は終点の西舞鶴駅で下車するのですが、その日に限ってひとつ手前の吐月旅館前で下車しました、ちょうどその前に集会案内の立て看板がみえたのです。

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本田弘慈・福音クルセード(1)