過去の日記から(279)
事業継続断念の経緯(6)
連休前の手術は認められず結果は2009年5月12日に手術と決めました、手術日が月末まで伸びてしまうと、支手決済のこともあり手術などしておれません。
私の脳裏には常に会社経営のことがあります、会社の風評を抑えられないと倒産せざるを得ない、このままでは倒産に追い込まれる。
風評を抑え込むには社長の強い、事業意欲を示す必要がありました、私自身(社長)の健康問題と後継者不在が問題となりました。
事業継続断念の経緯(5)
過去の日記から(278)
事業継続断念の経緯(5)
2009年4月14日(火)に精密検査のため入院しました、心臓冠動脈の劣化は65歳頃から少しずつ起こってくるそうですが、私の場合はすでに生じていて要注意です。
心臓CTの結果は冠動脈がかなり細っている箇所がある、2003年7月4日に手術した箇所も気になるので至急カーテテル検査が必要だとの結論でした。
しかしビジネスは毎日が戦場で甘ちょろいことなどは許されません、私は家内の運転で主要取引会社を訪問して風評を抑えるために状況説明をして回りました。
過去の日記から(277)
事業継続断念の経緯(4)
私は自分の健康状態が危険水域にあると思いました、2009年4月から5月は最悪でした。
ビジネスも、健康状態も順調ですと、信仰生活も日々の神様とのデボーションも力強いものです。
しかし最悪の状況に追い込まれると人間って弱い者です、私は不信仰な自分を徹底的に教えられました。
この頃の私はネガティブな祈りをします。
このまま心臓疾患で召されたら幸いだと思うのです、しかし神様の摂理はそうではなかった。
過去の日記から(276)
事業継続断念の経緯(3)
風評を抑えられないと倒産に追い込まれることは明白であります、仕入先の支払条件が急変し
ました、受注工事が激減して経営危機が表面化したのです。
私自身(社長)の健康問題も表面化しました、①心臓冠動脈の2回目の手術したこと、②家族に後継者がいないこと、の噂は急速にひろがりました、建設業界では風評が非常に怖いことでした。
2009 年の 3 月頃には自宅から徒歩で、5 分程度の本社事務所まで徒歩で出勤する途中で息切れ胸が痛み休憩が必要となりました。
過去の日記から(275)
事業継続断念の経緯(2)
2月末日の支手決済は時間との戦いでした、家内の運転で取引先を駆け巡り 3 : 3 0pm 頃でしたが、決済を済ませました。
しかしその時に第 1 回目の不渡手形をだしたとの風評、デマが飛びかってしまいました、それは 2 0 0 2 年から主要取引会社で老舗建築会社5社が相次いで倒産し多額の負債を負っていたからです。
当時は何とか連鎖倒産を免れましたが地域の優良会社から、要注意会社となっていたのです
その関係から風評、デマが急に拡大してしまって経営危機が表面化したのです、風評は本当に大変です。
過去の日記から(274)
事業継続断念の経緯(1)
2009年3月2日(月)にセフティーネット融資金が得られると信じていたが、前日の夕方に銀行融資できないと通告を突然うけました。
翌日の3:00Pmまでに1500万円の資金手当ができないと不渡手形がでてしまう、絶対絶命の危機に突然落ち込みました。
融資確定を確認せず、長年主要取引先金融機関を信じてしまった経営者として最大の甘さを痛感した瞬間でした。
過去の日記から(273)
信徒献身すべき(7)
教会には信徒献身者が必要だ起業して、主の「宣教の業に寄与すべき」との使命をいただきました。
1973年6月 15日の夜に起業決意しました、その時に与えられた御言葉を、社訓 に決めました。
常時喜悦・不断祈祷・万事感謝 と書いてもらって、中島彰牧師の 「 牧羊」の捺印を押してもらって「 掛軸 」にして掲げました。
1973年8月に起業してから2009年12月26日に事業停止するまで 37 年間「 社訓 」としたのです。
信徒献身すべき(5)