産業独立の決断(1)

1973年6月15日(昭和48年)のことです。
私は舞鶴国立病院で入院中だった、当時の私はクリスチャン起業するか直接献身するか(神学校で学ぶ)の決断ができず深刻に悩んでいました。
某姉妹が「詩篇46篇1節」の御言葉を持って、見舞いにきて下さいました。
当時、私達青年会のメンバーは「主はわれらの避け所、また力である」と毎週日曜日の夕方、車にスピーカーを付けて伝道集会の案内で叫んでいた御言葉だった。