産業独立の決断(2)

1973年6月15日(昭和48年)のことです。
夜になって、病室ベッドのカーテンを締めて個室となりました。神は私に午前中にプレゼントされた「詩篇46篇1節」の聖書のカ所を読むように導かれました。
神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変わり、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。「詩篇46篇2.3」
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。 神がその中におられるので、都はゆるがない。神はあさ朝はやく、これを助けられる。「詩篇46篇4.5節」、さらに導かれて行きます。
静まって、わたしこそ神であることを知れ。「詩篇46篇10節」の御言葉で、われにかえった感じだった。
たとい天災地変が起こっても、神の身元にある者は恐れることはない、神は誰よりも早く一番に助けにきてくださるのだと思いました。聖書的な本当の意味は何も解りませんが。この時は何か不思議でした。