新しく造られた者(1)

1968年(昭和43年)のことでした、今は亡き親父(市職員)の関係で京都府舞鶴市の小さい設備会社に就職しましたが何をしてもむなしく感じていました。
毎朝8時00分に出社して事務所で好きでもない仕事をし、5時00分を待って大好きな軟式テニスに没頭してボールが見えなくなるまで練習をして、あとは下宿まで寝るために帰ると言う生活でした。
当時舞鶴保安学校の学生(インターハイでベスト4の実績)と私(インターハイで3回戦までの実績)を持っていた二人が一般の部でタッグを組んで大会に参加していました、勝利することが唯一の楽しみで生き甲斐となっていました。
テニスで勝利し目的をはたしても、私はむなしさから逃れることはできませんでした。ボールが見えなくなったらテニス友達も帰宅します、でも私には下宿しかありません、下宿に帰るのが辛くなってきていました。しかし飲む(アルコール)は弱くすぐに駄目になりますし、お金もありませんでしたから下宿で閉じこもり悩んでいました。
こんな人生でよいのか、このままでは駄目だと思う、でもどうすればよいのか解りませんでした。そのような生活をしていた20歳の時でした、私は「本田クルセード」に導かれたのです。