新しく造られた者(4)

当時の私はこの賛美歌を聞くたびに、私の心は、和みました。
何のいさおもない私でした、功績・手柄などあるわけもない私に「イエスキリスト」の御許に行けば必ず、心が癒されると信じるようになり、教会に行きたいとの思いが益々強くなってきたのです。
<いさをなきわれを>
(1)いさおなきわれを、血をもて購い、イエス招き給う、御許にわれ行く
(2)罪とがの汚れ、洗うによしなし、イエスきよめ給う、御許にわれ行く
(3)疑いの波も、恐れの嵐も、イエス鎮め給う、御許にわれ行く
(4)心の痛手に、悩めるこの身を、イエス癒し給う、御許にわれ行く
(5)頼りゆく者に、救いと命を、イエス誓い給う、御許にわれ行く
(6)いさおなきわれを、かくまで憐れみ、イエス愛し給う、御許にわれ行く
水がしみわたるように、私の心が癒されるように感じました、イエスキリストによりたのみ。
「新しく造られた者」とされたいと強く思いました。
本田弘慈牧師が、私の後頭部に手を添えて言われた言葉を、いまでも体感できます。
「汝の罪、許されたり。兄弟君は、今日から新しい人生が歩める。」と大きな声で断言された、本田弘慈牧師の手の温もりは決して忘れることはできません。
大げさな話だと思われるでしょうが、決してそうではありませんでした「新しく造られた者」として歩みたいと願いました。
勿論、急に生活が変わったのではありませんが、惰性的な生活から何かを求めて生活しはじめたことだけは確かであります。