過去の日記から(11)

過去の日記から、新しく造られた者(4)(2010/2/16/記載)

当時の私はこの賛美歌を聞くたびに私の心は和みました、何のいさおもない私でした。功績手柄などあるわけもない私に、イエスキリストの御許に行けば必ず心が癒されると信じるようになり、教会に行きたいとの思いが益々強くなってきたのです。

< いさをなきわれを >

(1)いさおなきわれを、血をもて購い、イエス招き給う、御許にわれ行く
(2)罪とがの汚れ、洗うによしなし、イエスきよめ給う、御許にわれ行く
(3)疑いの波も、恐れの嵐も、イエス鎮め給う、御許にわれ行く

水がしみわたるように、私の心が癒されるように感じました、イエスキリストによりたのみ、新しく造られた者とされたいと強く思いました。

本田弘慈牧師が、私の後頭部に手を添え祈られた、いまでもその温もりを感じます、 汝の罪、許されたり、兄弟君は、今日から新しい人生が歩める 、と断言された。

その時の手の温もりは忘れることはできない、大げさな話だと思われるでしょうが、決してそうではありませんでした、新しく造られた者として歩みたいと願いました。

勿論、急に生活が変わったのではありませんが、惰性的な生活から何かを求めて生活しはじめたことだけは確かであります。

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