過去の日記から(23)

過去の日記から、新しく造られた者(10) (2010/2/28/記載)

親父は天下りしないで一足先に高浜で職人数名とで手間請負をしていました、私が現場代理人している現場も手間請負で施工していました、それでも私はまだ決断せずに悩んでいました、関西電力大飯発電所建設(1号、2号)が始まった頃のことが私の脳裏に鮮明に浮かびます。

まだ青戸大橋が完成していない頃です、巨大なイカダに作業車と共に資材を積込み朝早く出発して仮設給排水設備工事に職人を送り手間請負していた時期もありました、しかし決断ができず悩みました、当時は仕事量は豊富で人手不足で困っていたので、真面目に働けば生活だけなら何とかなった時代です。

無能鈍才の私は若干23歳ですから失敗も許されたのかもしれませんが、ついに決断する時が与えられました、それは1973年6月15日の夜のことでした。私は「尿導管結石で国立舞鶴病院に緊急入院した時のことであります。

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