過去の日記から(26)

過去の日記から、新しく造られた者(13) (2010/3/6/記載)

私が起業決断できた聖書の御言葉を(マタイ伝6章25節から)紹介します。
それだから、あなたがたに言っておく。
何を食べようか、何を飲もうかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。
命は食物まさり、からだは着物にませるではないか。
空の鳥を見るがよい。
まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない、それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。
あなたがたは彼らよりもはるかにすぐれた者ではないか、あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。
野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい、働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えいで、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

私は、起業(1973年)から事業停止(2009年12月)するまで、不安で寝付けないとき、仕事が受注できないとき、悔しい寂しい思いが抑えきれず激しく涙して祈り、何度も繰り返し、繰り返しこの御言葉を叫び「神様の御加護と最善」を求めたか解らない。
このブログを読んで下さっている人のなかに、将来が不安で仕方がない人達がおられると思いますが、間違いなく聖書の御言葉で平安が与えられます。

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