破傷風菌との戦い(45)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
私が一人でいるとベッドが揺れる程のケイレンが何度も続き、まるで逆らっているみたいです。
ケイレンが止まると麻酔を止めて意識を戻すことが出来るだろうに、主治医は風邪等の菌が怖いと言われた私も注意をしよう、院内感染を凄く恐れておられるようでした。
破傷風菌との戦い(44)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
本人は意識があるようで話の内容が解る見たいです、5:00PMから行う予定がやはりケイレンが激しく中止となりすぐさま麻酔を増強して眠らせた。
血圧も高く大変です、「苦しいけど、頑張ろうね、お父さん」と祈るしかありません、2000年4月23日(日)今日はケイレンがさらに頻繁に起こるので看護婦さんを呼ぶと止まります。
破傷風菌との戦い(43)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
2000年4月22日(土)昨晩から今朝に駆けてケイレンが頻繁に起こる、血圧も高くなってるのが非常に心配だ、大丈夫だ、大丈夫だと自問自答してる私です。
頑張れ、頑張れと、お父さんを励ます、神様は必ず祈りに答えてくださると信じています、高浜病院の院長先生が、一度麻酔を止めて覚醒して見ようと言われた。
破傷風菌との戦い(42)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
2000年4月21日(金)昨日も排便があった、内蔵機能が正常に動きだしたみたいです。下まで汚れたみたいで看護婦さんが綺麗に拭いてくれ、良かったねぇ。
お父さん高浜病院の看護婦さんは、みんな若いが優しい人ばかりで感謝です、地元の口名田地破区ではお父さんが入院したことが評判になっていて、いろんな噂が流れだした見たい。
破傷風菌との戦い(41)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
2000年4月20日(木)昨夜はトラブルが多い、11時頃には酸素測定器が異常で寝ていないようだ異常な汗をだしています、敷きバスタオルが湿っている。
本日もレントゲンを取るのかな、毎日のようにレントゲン撮影をします、今朝は排便があった入院して初めてでした、内臓機能が戻ってきたのかもしれない良かったひと安心です、血圧も安定してるもう一息です、頑張れ、お父さん
破傷風菌との戦い(40)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
でも実際の治療は人口呼吸器ですから、私の意志に関係なく呼吸は管理されていて問題はありません、問題は患者(私の意識が鮮明なことです)。
主治医から告知されてはいましたが、私はその苦しみと恐怖を味わうことになりました。「私は決して負けない、頑張る約束する」だけでした。