破傷風菌との戦い(62)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
私の記憶を通して。
2000年5月1日(月)誠心誠意看病してくれる家内に対して、心から感謝しているのですが。自分でしゃべれず、身動きできず、目がふさがれている。
それでいて神経は鮮明の状況が長いため非常に苦しみます、自分の身体のもっていき場がない、足がだるいからさすっていてほしい、足を曲げたり、組み変えたり、もんだりしてほしい。
破傷風菌との戦い(61)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
私の記憶を通して。
サスペンス劇場のテレビ番組、人が死亡する場面で心電図の波長が直線に変わり音がピ---になって人の死亡をを表現しています、これと同じイメ-ジが私の脳裏をよぎるのです。
今ピ-ピ-の音がピ---に変わった時に私が死亡すると思い込みます、自分がよく解らない、とにかく体が自由に動かない、筋肉弛緩剤が抜けていない、身体の持って行き場がなく苦い。
破傷風菌との戦い(60)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
私の記憶を通して。
夜は眠れない、いつも神経が高ぶり寝ないで夜中ず-と起きているように感じる、人工呼吸と自呼吸があわないとピ-ピ-と音を発するように設定がしてあると後日お聞きした。
夜中だと思います、気が付くとピ-ピ-と音が聞こえます、人工呼吸器からでている音のようです、私はその音を聞くと情緒不安定になり非常な不安を感じました。
破傷風菌との戦い(59)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
私の記憶を通して。
私はこの頃、家内の姿があると安堵しますが。見えないと情緒不安定になり不安と恐怖に襲われました。いつまでも手で触り身体のどこかを「さすって」いて貰いたい。
すぐ近くにいてほしい、私のためだけに時間を割いて欲しいと願いました、わがままで、甘えっぱなしで、弱い者でした。
破傷風菌との戦い(58)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
破傷風菌との戦い(58)
2000年4月29日(土)随分と元気になってきました、ハレルヤ感謝です、同時に甘えもひどくなってきます、体のあちこちが痛いらしい。
私に甘えるのも大変です、お父さんちょっと用事ででてきますと言いますと、すぐに帰ってきて欲しいと甘えます、困った人だと思いました。
破傷風菌との戦い(57)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
家内の病症日記から。
2000年4月28日(金)昨夜は眠り薬によりよく眠ってくれたので私もぐっすり眠れました、昨日のことが嘘のようです、リハビリの先生が見えて少し体を動かしました。
ひげも剃って貰い綺麗になり元気になってきました、意識もしっかりしてきました、もう少しだ頑張れ、お父さん。
破傷風菌との戦い(56)
第3期症状(生命に最も危険が及ぶ時)を通して生涯2度と学ぶことのできない貴重な体験をします、私の意識のある限りの記録と家内に病床日記を詳細に記録して欲しいと頼んでいました、それを整理し掲載しています。
破傷風菌との戦い(56)
私は必死で全身の力を振り絞り叫んでいるのに伝わらなかった、その後の記憶途切れている、後日この時のようすを詳しく聞きました、家内はお父さんの気が狂ったと思ったらしい。
しかし先生に聞くと本人が幻覚を見たのかもしれないと言っているのだから正常な精神状態であり心配しないでよい、恐怖を味わったのだから仕方がない、今後も何回かはあると思うが大丈夫ですと言われたので安心でした。