過去の日記から(239)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(15)
1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院
社員全員に対して健康診断を受けるよう朝礼で指示して、あわせてレントゲン検査も受けることの指示をいたしました。
みんなが事務所より出ていく時に、山ちゃん(仮名)が私のところへ来てレントゲン撮影は私も必要でしょうかと聞きます。
私は人の手前、山ちゃん(仮名)は検査ばかりやったから、必要ないねーと言ったのです。
彼がレントゲン撮影を受けたら事業主の私がどうしてこんな重病人を働かすのかと言われるのを彼はよく知っていたからです。
 

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過去の日記から(238)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(14)
1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院
肺炎になって、苦しくて歩くことすらできません、必至になって出社してくる彼が痛ましかった。
健康者と同じ扱いで仕事がしたい、と常々私に懇願しました、胸がはち切れそうでした。
この頃の私は、クリスチャン経営者としてに、神の存在とゆだねることの大切さを語るべきだと啓示を受けていました。
主の前にそのことで祈っておりました、語るべきだという思いが日々増大していました。
 

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過去の日記から(237)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(13)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
びっくりしたのは周囲の人々でした、その精神力に感心をしたとのことです、彼はこの頃から死に対して進行している自分を100%現実として受け入れています。
家族のものに対する思いやり、気配りは人以上で、本当に立派でした、素晴らしい人物を神様はどうしてなのか、と祈る毎日。
1955年11月18日~1955年1月16日(3回目の闘病生活)国立舞鶴病院
再び会社で仕事ができる本当に感謝です、その思いで山ちゃん(仮名)が職場復帰してきた、でも一ケ月もたなかったのです。
 

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過去の日記から(235)

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(12)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生)国立舞鶴病院
それら個人・個人の集まりが会社という組織となり、大きな力となる、だから最終的には個人主義はある意味で、悪ではないだろう。
癌と闘っている山ちゃん(仮名)は、この頃には自分の状態を全て知っていたはずです、主治医から自分の、肺のレントゲンをお母さん、妹、そして山ちゃん(仮名)、3人で説明を受けたそうです。
山ちゃん(仮名)は何回、何回も、もうなずき説明に対しても、私が感じていたとおりでした、ありがとうございましたと語った。
 

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数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(11)

過去の日記から(234)

 

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(11)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院
会社の中で私に対して、会社のために働いているのに、という人がいた場合、一番頭に来る言葉だ!。
自分のために働くのであって、会社のためというのは論理が間違っていると思わないか、無理して倒れて長く休んだ人がいる。
また能力は特別優れていないが、コツコツタイプの人との比較等々でした、この時は時間を忘れていました。
結論として、山ちゃん(仮名)の場合は個人主義的考えで行こう、自分ありき、それが会社のため、地域のためと拡大して行くんだ。
 

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数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(10)

過去の日記から(233)

 

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(10)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院
主治医が、あなたの会社名を教えてくださいという問にたいして○○会社です、とゆるやかな反応を示したそうです。
奥さんと子供達がその反応を見せられて思いました、この人は家族よりも、職場の方が大切なんだと淋しく、悲しんだそうです。
私の会社の社員は絶対にこうであってほしくないと思う、家族の幸福なくして仕事にがんばれるものか。
健康ということ、また神様に生かされている大切さ、感謝について長々と話し合い素晴らしい時が与えられました。

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数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(9)

過去の日記から(232)

 

数えてみよ主の恵み、癌と闘った社員(9)
1994年8月29日~1994年10月11日(2回目の闘病生活)国立舞鶴病院
いろんな話しをした、その時のテーマはこうです、ある朝日新聞の社説欄を読んで非常にショックを受けたことがあります。
それは私の会社と職種が同じで機械設備大手会社の社員のことでした、大規模建物の機械設備工事を施工管理していた。
40歳の社員でした仕事が非常に忙しく、精神面でもかなりのプレッシャーがあった、忘年会の席で倒れ植物人間となりました。
ある日のこと奥さんと子供達が病室のベッドの横から、お父ちゃんお父ちゃん!と語りかけますが反応がありません。

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