2013-01-01から1年間の記事一覧

数えてみよ主の恵み(142)

癌と闘った社員(12) びっくりしたのは周囲の人々でした、その精神力に感心をしたとのことです、彼はこの頃から死に対して進行している自分を100%現実として受け入れています。 家族のものに対する思いやり、気配りは人以上で、本当に立派でした、素…

数えてみよ主の恵み(141)

癌と闘った社員(11) それら個人・個人の集まりが会社という組織となり、大きな力となる、だから最終的には個人主義はある意味で、「悪」ではないだろう。 「癌」と闘っている山ちゃんは、この頃には自分の状態を全て知っていたはずです、主治医から自分…

数えてみよ主の恵み(140)

癌と闘った社員(10) 会社の中で私に対して、「会社のために働いているのに」という人がいた場合、一番頭に来る言葉だ!!。 自分のために働いているのであって、会社のためというのは論理が間違っていると思わないか、例えば、無理して倒れて長く休んだ…

数えてみよ主の恵み(139)

癌と闘った社員(9) 主治医が、「あなたの会社名を教えてください」という問にたいして、新.日本.空調.とゆるやかな反応を示したそうです。 奥さんと子供達がその反応を見せられて思いました、この人は家族よりも、職場の方が大切なんだと淋しく、悲しんだ…

数えてみよ主の恵み(138)

癌と闘った社員(8) いろんな話しをした、その時のテーマはこうです、ある朝日新聞の社説欄を読んで非常にショックを受けたことがあります。 それは私の会社と職種が同じで機械設備大手会社で、新日本空調(株)の社員のことでした、大規模建物の設備を施…

数えてみよ主の恵み(137)

癌と闘った社員(7) 私はガンの活動が再び激しくなったと思いました、ちょっとでも塩分があると激しく痛み食事は流動食となります、転移が口へ肺へとひろがってきているようです、再びコバルトをあてての闘病生活です、必至に闘う彼の姿を見ると胸が締めつ…

数えてみよ主の恵み(136)

癌と闘った社員(6) 1994年3月11日、元気で職場へ復来しました、それから6ケ月間は仕事をしました、当時は私も、「癌」と喧嘩しないで仲良く生活できるかも知れない、と思ったものです。 でもそれも長くは続きませんでした、1994年8月29日〜…

数えてみよ主の恵み(135)

癌と闘った社員(6) 「癌」があり、手術では完全に取れなかった、それが口へ、喉へ、肺へ、転移していることを教えてもらったのです、私は物凄いショックを受けました、そうして二人の、「内緒」としました。 数日後、彼から「癌」がのこったことを聞きま…

数えてみよ主の恵み(134)

癌と闘った社員(5) 山ちゃん私はクリスチャンだ、早く元気になるようにお祈りをするからと言ったことを覚えています、手術が終って4日目に急いで見舞に行きました。 何故なら不安と心配が日々大きくなっているのを押さえ切れなくなっていたからです、お…

数えてみよ主の恵み(133)

癌と闘った社員(4) 局部的にコバルト治療をしてもその菌は周囲に散るだけで再びリンパに向かつて集まる、それと同じ周期で高熱を繰り返すのです(40度程度の高い熱)。 そのことが今心配材料として私の脳裏にのこっていて、不安を感じていることを山ち…

数えてみよ主の恵み(132)

癌と闘った社員(3) 私はその原因をハッキリ知っている、でも口にだして良いものか否か迷っているのです、でも話すことにしました、20年ほど前に私は国立舞鶴病院施設会計課の仕事で毎日病院に出入りしていました。 ある病室の細長いのぞきスペ−スから見…

数えてみよ主の恵み(131)

癌と闘った社員(2) 1993年10月11日、この日に彼が担当している数件の現場を私と廻る予定でしたので、現場を立会い説明を受けて引継ぎをしました。 その後の車中で病気のことについて話しました。 「山ちゃん、悪性ではないんだね」、ハイ、悪性で…

数えてみよ主の恵み(130)

癌と闘った社員(1) 1993年10月13日〜1994年3月10日 (闘病生5カ月間)国立舞鶴病院 私は茂君より10月13日から国立舞鶴病院へ入院して検査を受けるとのことを聞いたのは、その10日前だと思います、彼は首と顔の下(アゴの下の所)、…

数えてみよ主の恵み(129)

愛の架け橋(7) お母さんにも子供達にも謝ろう、子供に教えられた自分が恥ずかしい、神様はその日の内に私達夫婦に、「無言」の和解を与えられたのです。 その後は私達夫婦の間では夫婦喧嘩と称するトラブルはありません、ハレルヤ感謝です。 最近このことを家…

数えてみよ主の恵み(128)

愛の架け橋(6) 私はすぐ家族みんなが手をつないで歩いていることに気付きました、子供達が「愛の架け橋」となりました。 私は虚しくてたまりません、「なんて愚かな男なんだろうか」、家内は何も言わず子供達と楽しそうでした、私は益々虚しくなりなした…

数えてみよ主の恵み(127)

愛の架け橋(5) 夜8時00分に会場近くの口名田公民館の駐車場に到着て、子供達と4名が歩いて行くことになりました、子供達は非常に楽しそうです、嬉しくてたまらないようでした、もちろん私と家内は無言のままでありました。 私はふっと気がつくと、子…

数えてみよ主の恵み(126)

愛の架け橋(4) 車で事務所から飛びだしたのですが、どこにも行く所がありません、居酒屋でお酒を飲んでうっぷんを晴らすすべを知らない私は、小浜市内まで行きすぐに帰ってきたのです。 無言で帰宅した私に子供達が、「お父さん祭に連れて行って」と懇願…

数えてみよ主の恵み(125)

愛の架け橋(3) 6時頃でした、支払予定を立てるのに請求書のファイルをチエックしていましたが、何が原因だったか明確に覚えていないのです、無性に腹が立って家内と衝突して、思わず請求書のファイルを彼女に投げて仕舞いました。 バラバラになって床に…

数えてみよ主の恵み(124)

愛の架け橋(2) 私は商売人で自営業でありますから、会社業務でどんなに忙しく、苦しくても、人に恩がましく言わないし、言う人には手伝ってもらいたくないと言う基本的な考えを持っていたのです。 その時はどのようなことからなのか??、何が原因か??…

数えてみよ主の恵み(123)

愛の架け橋(1) 子供がまだ小学校に行っていない頃でした、私と家内が激しく衝突して非常に気まずくなったのです。 その頃の私達の私生活は非常に忙しい毎日を過ごしていました、家内は子供の育児、家事全般、会社の事務、経理等々、一人三役で何をさせて…

数えてみよ主の恵み(122)

私の体験記録(8) 何故キリストがカルバリーの十字架に付けられたのかを徹底的に教えられた瞬間でした、カルバリーの十字架はわがためでありました。その人に対して悪態を叫び続ける私が惨めで情けない、トンネルを出てすぐの駐車場に車をとめて泣きじゃく…

数えてみよ主の恵み(121)

私の体験記録(7) それは時間にして何秒なのか、それとも数十秒なのか解りませんが私の心をとらえたことは間違いありません、トンネルをでてすぐの小浜市勢浜のドライブインの駐車場に車を止めて泣きじゃくっていました。 われにかえった自分に気が付いた…

数えてみよ主の恵み(120)

私の体験記録(パート7) やるせない自分の思いを神様にぶつけていました、傲慢で信仰のかけらもない私でした、信仰さえしていれば、教会生活と奉仕だけしていれば万事が上手く行くとの御利益的信仰だけの自称クリスチャンだった。 しかし、そのような私を…

数えてみよ主の恵み(119)

私の体験記録(パート6) 小浜から高浜の家まで3箇所のトンネルを通過しなければなりません、2カ所目のトンネルに入った時のことでしたが私は不思議な体験をしました。私の生涯で最も貴重なものとなっています。 トンネルに入ってからすぐのことです、私…

数えてみよ主の恵み(118)

私の体験記録(パート5) 私が神様に、「祈る」すべてが最悪の結果となったのです、何とも惨めな自分がここにいる、今後どのようにしたらよいのだろうか、将来の不安が私をパニック状態に追い込みました、親父に、妊娠中の家内に知らせることをためらいまし…

数えてみよ主の恵み(117)

私の体験記録(パート4) 私は神様を信じ従ってきたのに、イエス・キリストを信じているクリスチャンなのに、お祈りは必ず聞かれるものと確信していたのに、これはどうゆう仕打ちだ。 何故、おやじが末期ガン(胃)で家内は妊娠中で会社経営のことも大変な…

数えてみよ主の恵み(126)

愛の架け橋(4) 車で事務所から飛びだしたのですが、どこにも行く所がありません、居酒屋でお酒を飲んでうっぷんを晴らすすべを知らない私は、小浜市内まで行きすぐに帰ってきたのです。 無言で帰宅した私に子供達が、「お父さん祭に連れて行って」と懇願…

数えてみよ主の恵み(126)

愛の架け橋(4) 車で事務所から飛びだしたのですが、どこにも行く所がありません、居酒屋でお酒を飲んでうっぷんを晴らすすべを知らない私は、小浜市内まで行きすぐに帰ってきたのです。 無言で帰宅した私に子供達が、「お父さん祭に連れて行って」と懇願…

数えてみよ主の恵み(116)

私の体験記録(パート3) 私はすぐ病院に向かいました、走行中にも、「神様の御加護があるように」と祈りました、小浜病院では数人の社員もきていました。 夜中のことでした(S53.10.12・12:45AM)が主治医による説明がありました、右脳が砕けていて手術不…

数えてみよ主の恵み(126)

愛の架け橋(4) 車で事務所から飛びだしたのですが、どこにも行く所がありません、居酒屋でお酒を飲んでうっぷんを晴らすすべを知らない私は、小浜市内まで行きすぐに帰ってきたのです。 無言で帰宅した私に子供達が、「お父さん祭に連れて行って」と懇願…